礼拝説教
2004年7月4日
「説教を聞き、みことばに生きる」
Iテサロニケ1章
 私たちが毎週教会に集い、礼拝をささげることができるのは、私たちクリスチャンにとって大きな特権であり、喜びです。礼拝のプログラムの中で「説教」が大切な要素の一つであることは、すでにお話ししました。説教は神のことばの解き明かしであると、先週学びました。だから説教を正しく聞く必要があります。聖書箇所の解き明かしを十分理解することが私たちに求められています。次にもう一つしなければならないことがあります。それは「みことばに生きる」ことです。今朝は、テサロニケの人たちがパウロの語った福音をどのように受け入れ、どのようにみことばに生きたのかを見たいと思います。

  パウロは第2回伝道旅行(AD49-52頃)の途中、マケドニヤ州の州都であり、商業や貿易の中心都市であるテサロニケに立ち寄り、人々に福音を語りました。彼らの中には福音に耳を傾け、よくわかって、キリストを信じる人々が起こされました(使徒17:1-4)。パウロは福音をどう語ったのでしょうか。彼は福音をことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信によって伝えました(Iテサロニケ1:5)。説教も同じように、聖霊に導かれて確信をもって力強く語ることが必要です。そうするならば説教は用いられて、みことばを受け入れる人々が必ず起こされるのです。もう一つ大切なことは福音を語る者の生き方です。パウロはこう語っています。「また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています」(5節後半)。2:10も参照。パウロと同様、説教者も語る説教と矛盾しない生き方が求められています。このような中でテサロニケの人々は福音を受け入れました。

 次にみことばを受け入れた人は、そのみととばに生きなければなりません。6節でパウロはこう書いています。「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。」 テサロニケの人々は、福音を受け入れるときに、すでに戦いがありました。パウロがクリスチャンになると直ぐに、同国人のユダヤ人から迫害を受けたように、テサロニケの人々も同国人のギリシャ人から迫害を受けました(2:14参照)。しかし彼らの生き方はすばらしいものでした。彼らはギリシャ全土(マケドニヤとアカヤ)のすべての信者の模範となって、その地方にとどまらず、あらゆる所に伝わっていたのです(7-8節)。みことばに生きることの大切さをもう少し考えてみましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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