現在私たちの教会は、大人と子どもと一緒に礼拝を持っています。また教会学校も礼拝の中に半分取り入れています。それは、子どもと大人が共に神さまを礼拝するのはきわめて自然なことであり、子どもたちの信仰の決心・成長を教会全体の重荷と考えているからです。主イエスは子どもたちを愛し、子どもたちがご自分のみもとに来ることを喜んでおられました。イエスさまはどうしてそうなさったのでしょうか。なぜなら子どもたちは実にすばらしい存在だからです。
子どもたちはイエスさまを愛しています。子どもたちの物事をまっすぐに捉える能力は、真の神さまであるイエスさまのすばらしさを大人以上にわかるのでしょう。子どもたちは喜んでイエスさまのみもとに来ます(10:14)。弟子たちでさえ、子どもたちが信仰を持てるとは思いませんでした。子どもたちは主イエスを素直に受け入れます。彼らは大人のようには神の国を理解できなくても、純粋な目で見、曇りのない心で天国に入りたいと思います(10:15)。彼らは、主イエスを信じるならば、神の国に入ることができるとわかり、主を受け入れます。大人が子どものように神の国を受け入れなければ決してそこに入れないと、主は言われるのです。
子どもたちは弟子たちが学ばなければならない謙遜を身につけています。「だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉いのです」(マタイ18:4)。子どもも生まれながら罪を持っている罪人には違いありません。しかし、自分の罪を認め、悔い改めて、主イエスを信じます。信じてからの生き方も、大人のような人の上に立ちたいという高ぶった思いが少ないのです。主イエスは、子どもたちの純粋な信仰、謙遜な態度、主イエスへの素直な信頼を高く評価しているのです。主はこう言われます。「だれでも、この幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです」(マルコ9:
37)。主イエスは幼子たちの信仰をイエスの名のゆえに受け入れるように弟子たちに、そして私たちに求めているのです。主イエスは幼子たちの人格を認めておられます。幼子の人格と大人の人格に優劣の差はありません。私たちは子どもたちがイエスさまのみもとに喜んで来るのを妨げてはなりません。子どもと大人と一緒に心からの礼拝をおささげしましょう。
「子どもメッセージ」が子どもたちに用いられるように祈りましょう。
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