2004年10月03日
「クリスチャンと洗礼」
ローマ人への手紙6章1〜11章

 洗礼を受けてクリスチャンになることは、きわめて自然なことです。主イエスは、大宣教命令として弟子たちに次のように命じました。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け,・・・」(マタイ28:19)。この命令の中で一番重要な「弟子とする」ために、信じた者にバプテスマを授けることが必要です。弟子たちはその命令の通り、ペンテコステの時から実行しました(使徒2:38-41他)。今朝は洗礼の意味を考えてみましょう。

  第1に、キリストに従う決心をしたことを意味します。
  上に見たようにイエスを救い主と信じた者は、キリストのご命令に従います。その人にとって主イエスは「私の主。私の神。」(ヨハネ20:28) ですから、生涯主に従って行きたいと願います。バプテスマは、主イエスのご命令ですから、弟子となって、主に従うために洗礼を受けるのです。

  第2に、イエス・キリストを信じ、罪が赦されたことを意味します。
  「あなたがたは、恵みにより、信仰を通して救われたのです」(エペソ2:8私訳)の約束の通り、クリスチャンは、主イエスの十字架と復活の贖いのみわざによって、信仰を通して救われました。洗礼は、その人がイエス・キリストへの信仰を告白することに続く儀式です。

  第3に、古い自分が死に、新しい自分が新しい歩みを始めたことを意味します。
  罪と死とさばきから救う十字架と復活のみわざは、さらにイエスを信じる者がキリストの死と復活にあずかることを意味します。かつての罪に満ちた古い自分は、キリストの死と結び合わされ、罪のからだが滅びて、罪から解放されました。同時にその人は、キリストのよみがえりのいのちにあずかって、キリストの復活とともに新しい歩みを始めました。水のバプテスマは、死と復活(新生)という目に見えない真理を目に見える形で表したものなのです。

  第4に、キリストのからだの一部とされたことを意味します。
  イエスを救い主と信じた時、その人は聖霊を受け(それを「聖霊によってバプテスマを受けた」といいます)、キリストのからだの一部とされました(Iコリント12:13)。聖霊によって新しくされた人は、同時に目に見えないキリストのからだの一員とされたのです。水のバプテスマは、その事実を目に見える形で表し、その人は地域教会の会員となるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382