2004年11月14日
「クリスチャンとあかし」
使徒8:1-8、26-40

 「証し」ということばは、教会で普通に使われていますが、一般には法廷などで行う「証言」が「証し」に近いかも知れません。しかし、私たちがクリスチャンになった体験を、まだキリストを信じていない人々に語る「証し」は、非常に重要な働きです。また、この「証し」には、クリスチャンになってからの恵みの体験を語ることも含まれます。そしてこれらの「証し」には一つの共通点があります。それは、私を救い、恵みとあわれみをもって導いてくださっている主イエス・キリストを「証言する」ことです。

 初代教会においての最初の迫害は、エルサレム教会に対してユダヤ人が行ったものでした。使徒以外の者たちはみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされました(使徒8:1)。この「散らされた」ことが伝道・証しのための良い機会だったのです。彼らは「みことばをの宣べながら、巡り歩いた」のです(4節)。このように伝道・証しの機会は、どこにあってもクリスチャンが置かれているその所にあります。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えました(5節)。その結果この町の多くの人々がピリポの話に耳を傾け、イエス・キリストを信じて、バプテスマを受けました(6,12節)。その後ピリポはガザに下って行き、エチオピア人の高官にイザヤ書53章の聖句を解き明かし、イエスを宣べ伝えて彼を受洗にまで導きました(26-38節)。このときのピリポの働きには、主の使いと御霊の導きがあったことがわかります(26,29節)。

 ピリポが福音を宣べ伝える時に自分自身の体験を語ったかどうかは、使徒の働きに記されていません。しかしパウロについて言えば、以前の自分の生い立ちやしてきたこと、ダマスコ途上でよみがえりの主イエスに出会って回心した体験、その後の宣教者としての歩みなどをかなり詳しく語っています(22:3-21、26:3-23)。私たちの証しも同じなのです。イエス・キリストにお会いする前の自分、キリストに出会ったときの体験、救われてからの歩みを、機会が与えられたら、ぜひ語ってください。証しの中心はキリストです。そしてあなたの生き方そのものが、実は大切な鍵でもあります。あなたはイエス様を信じてから生き方が変ったはずです。あなたの確信をもった信仰、配慮をもったことば遣い、親切な態度--それらは今までの生き方と確かに違うはずです。置かれたところでの仕事や勉強に対しても、あなたはずっと意欲的で前向きになっているはずです。あなたの証しは、あなたが今置かれているところで用いられるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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