わが国には、「八百万(やおよろず)の神々」ということばが示しているように偶像の神々が大勢います。偶像の神々は、人間が造り、考え出したもので、それぞれに役割が分担されています。偶像は、人間がまことの神さまを忘れ、神さまに背を向け、自分勝手に歩み始めた時から造られたもので、随分昔からあります。このような偶像の神々の特徴は何でしょうか。
第1に、偶像は人を救うことができません。
偶像は、人の手によって金や銀で造られたもので、人間のような形をしていても、何の働きもできません。「口があっても語れず、目があっても見ない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない」とあるとおりです(詩篇115:5-8)。倒れても自分で立ち上がることができません。このような偶像が私たちを救うことができるでしょうか。何の助けにもなりません。このような偶像を造るものも、これに信頼する者も、偶像と同じように何の力もなく、むなしいのです(8節)。
第2に、偶像は人の言いなりになります。
預言者イザヤは、こう言っています。「その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから』と言う」(44:17)。人はいろいろな偶像を造って、それぞれ違った役割を分担させ、願い事を叶えてください、と拝みます。しかし、願い事が叶えられるはずがないですから、次に別の偶像に向かいます。こうして次々にいろいろな偶像の神々に願い事をぶつけるわけですから、偶像は人間の言いなりになるわけです。
しかし、まことの神さまはまったく違います。まことの神さまは天地万物と私たちを創造し、今も生きておられ、すべてを支配しておられるお方で、目には見えませんが、私たちを救うことができます。神さまは、私たちを罪と死とさばきという泥沼から引き上げてくださって、しっかりした救いの岩の上に立たせてくださり、正しい道に導いてくださいます(詩篇40:1-2参照)。またこの神さまは私たちの言いなりになるような方ではなく、私たちにご自身のみこころを示して、ご自分に似たものとなるように導かれます。「今日のみことば」にあるとおり、「私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる」お方なのです。まことの神さまを礼拝しましょう。
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