今週からアドベント(待降節)に入ります。私たちの救い主イエスさまのご降誕をお祝いするクリスマスを間近に控えて、私たちの心が整えられることを願っています。
今朝は、バプテスマのヨハネの誕生から彼に与えられた使命について考えてみましょう。ヨハネは旧約時代の最後の預言者でした。彼の父ザカリヤはそう言い(ルカ1:76)、主イエスもそう言われました(マタイ11:9)。彼の務めは次の2つと考えられます。
第1に、救い主を迎えるために道を備えることでした。
彼は、生まれる前から神によって聖別された人(ナジル人)であり、人々に悔い改めを迫りました。これまで神に逆らい、自分勝手に歩んでいたイスラエルの民を主に立ち返らせること、彼らを義人の心に立ち戻らせることでした(ルカ1:16,17)。救いをいただくこと、すなわち救い主を心の中に受け入れるためには、まず自分の罪を認め、告白しなければなりません。ヨハネは、人々に悔い改めを迫り、悔い改めた者にバプテスマを授けました(3:3)。当時の群衆も取税人も兵士もそして指導者たちも悔い改めて、心を主に向けない限り、救いをいただくことはできないからです。これは私たちにも言えることです。主イエスを信じるためには、悔い改めが必要です。
第2に、人々に主イエスを救い主として指し示すことでした。
父ザカリヤは、息子ヨハネの役割をさらにもう一つ語っています。「神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである」(1:77)、と。ヨハネはメシヤであるイエスさまと「荒野で叫ぶ者の声」にすぎない自分との違いをはっきりと自覚していました(3:4,15-16)。彼は人々を救うことはできません。彼は預言者でした。でも預言者の中で一番偉大な預言者でした。なぜならイエスを救い主と知ることができたからです。彼は、人々が待ち望んでいたメシヤ=キリスト(救い主)はイエスであると人々に教え、人々がイエスの所へ行き、イエスを救い主と信じるように説得したのです。彼は生涯その使命に生きました。証言者としての生き方に徹することは、今日の私たちクリスチャンの模範でもあります。
クリスマスを前にして私たちも心を整え、救い主を迎えるための備えをしましょう。 |