2005年02月13日
「主イエスの郷里伝道の困難さ」
ルカの福音書4章13-21節

 主イエスの幼い時から大人になるまでの多くの事柄を見聞きしていたナザレの人々は、郷里に帰って来られたイエスを歓迎したでしょうか。確かに最初のうちはみなイエスをほめ、その口から出る恵みのことばに驚きました。しかし彼らはイエスのことばを受け入れ、主を尊敬するようにはなりませんでした。彼らは、「この人は、ヨセフの子ではないか」と言ったのです(22節)。
 
 I 郷里の人々はイエスを受け入れませんでした。
 人々の期待は、イエスがカペナウムで行なったいやしやほかの奇蹟をここでも行なってくれというものでした。「医者よ。自分を直せ」というたとえが当時の人たちの中でよく使われていたようですが、恐らく人々はイエスの奇蹟を見たいと願い、またいやしや奇蹟を行えばもっと名声を博するようになると考えたのでしょう。しかし彼らのことばはイエスを真の預言者、救い主と信じ、受け入れる気持ちから出ていたわけはありません。まさしく「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません」と主が言われたとおりです(24節)。このことは、同胞ユダヤ人がイエスを救い主として受け入れず、十字架につけてしまったことにつながるのです。確かに「この方は、ご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」からです(ヨハネ1:10)。

II 旧約時代も人々は主の預言者を受け入れませんでした。
 イエスは、かつてイスラエルの人々が不信仰のゆえに、預言者をしりぞけてしまい、多くの恵みが異邦人に与えられたことを説明します。エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいましたが、エリヤは、異邦人の町シドンのやもめ女のところに遣わされました(25-26節、I列王17章)。エリシャの時も、イスラエルにツァラアトに犯された人がたくさんいましたが、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました(27節、II列王5:1-14)。同様に、この時も人々がイエスを受け入れなければ、主の恵みはイスラエル人にではなく、異邦人に与えられることになるでしょう。ナザレの人たちはそれを聞いて、ひどく怒り、なんとイエスを町から追い出して、がけのふちまで連れて行き、そこから投げ落として殺そうとしたのです(28-29節)。今日の私たちは、主イエスがどのようなお方か知ることができ、信じることができる恵みの時代に生きていることを感謝しましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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