2005年03月20日
「十字架と救い」
ヨハネの福音書 19章17〜30節

 今日は「しゅろの日曜日」と言われ、主イエスが大勢の群衆に迎えられて、ろばの子に乗ってエルサレムに入城された日です。人々は喜んでしゅろの枝を取って歓迎しました。しかし、同時に今週は受難週と言われるように、主イエスはさまざまな御苦しみを受けられて、金曜日には十字架につけられて殺されます。今朝は主イエスが十字架の上でなさったみわざを見てみましょう。

 I. 主イエスはユダヤ人の王として刑を受けました。
 主イエスは二人の強盗とともに十字架につけられました。主イエスの罪状書き「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」が十字架の上に掲げられました(19節)。ユダヤ人の祭司長たちは、皮肉にも自分たちの王を十字架につけることになるので、ピラトに「彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください」と頼みますが、受け入れられませんでした。ユダヤ人にとっては、イエスが自分を神の子としたので有罪であり(7節)、ローマおよびポンテオ・ピラトにとっては、民衆を惑わし、ローマ皇帝に反逆するもう一人の自称ユダヤ人の王なので有罪なのです。しかし主イエスは真の意味で神の御子であり、ダビデの王位を受け継ぐユダヤ人の王でした。主が受けた不当な裁判と刑は、主イエスの本当の姿を指し示しているのです。

 II. 主イエスはすべてを人々に与えられました。
 主イエスは十字架にかけられるときに今まで身につけていたものをすべて兵士たちに取られてしまいましたが、それは聖書の預言の成就でした(23-24節、詩篇22:18)。このことは、主がご自分のものをいっさい、すなわちご自分のいのちを人々に与えられたことを意味しています。主はご自分のいのちを私たちに与えて、私たちが生きるようにしてくださったのです(Iヨハネ4:9)。

 III. 主イエスは救いのみわざを成し遂げました。
 主イエスは十字架の上で7つのことばを発しておられますが、第6番目のことばは、「完了した」と言う短いことばでした(30節)。それは主がこの世に来られて、なそうとされた救いのみわざがすべて完了したことを意味するのです。もはや何も付け加える必要がありません。「あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました」(ヨハネ17:4)と主が御父に祈られたとおりです。みわざの完成により神と人々との間を隔てていた至聖所の前の垂れ幕が裂けて、人はだれでも神の御許に行くことができるようになったのです(マタイ27:51、ヘブル9:11-12)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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