2005年03月27日
「主イエスのよみがえり」
ヨハネの福音書 20章1〜18節

 今年もイースターがやって来ました。2000年の教会の歴史の歩みそのものですが、このイースターの日に私たちクリスチャンの先輩たちは、イエスさまのよみがえりを記念し、喜びと感謝をもって主を礼拝し、食事を伴うお祝いをしてきました。イースターはイエスさまのよみがえりという事実の上に成り立っています。もしイエスさまが本当に復活していなかったとしたら、初代教会が発足したでしょうか。こうして毎週教会に集まって礼拝をささげてきたでしょうか。おそらくとっくの昔に教会はなくなり、クリスチャンも地上からいなくなっていたことでしょう。だからイエスさまがよみがえった事実は大切です。

 I. イエスさまは本当によみがえりました。
 週の初めの日、つまり日曜日の朝早くまだ暗いうちにマグダラのマリヤは墓に来ました。他の女たちとイエスさまのからだに香油を塗るためでした。ところが墓に来てみて驚いたことに、墓から石が取りのけられて、墓の中はからっぽでイエスさまのからだがありませんでした。マリヤは急いで走ってペテロとヨハネに知らせました。この二人が走って墓に行き、その中を確認したところ、確かに墓の中にはイエスさまのからだなどに巻かれていた亜麻布と布切れがあるだけでした。ヨハネは、この時イエスさまが確かによみがえられたことを信じたようです(7-8節)。マリヤは、弟子たちが墓から帰った後でなお墓に残り、外でたたずんで泣いていました。そのマリヤによみがえられたイエスさまが声をかけられたのです(15-16節)。マリヤはどんなに嬉しかったことでしょう。このようにイエスさまがよみがえられたことは、墓がからであったこととマリヤを初め弟子たちにご自身を現されたことで確信することができます。

 II. 罪が赦され、義と認められます。
 イエスさまが死にうち勝ってよみがえられたことにより、十字架によって私たちの罪が赦されることが証明されました。イエスさまが十字架にかかって死んでくださったことは、どんなに感謝しても、感謝し過ぎることはないのですが、イエスさまが死んで墓の中に葬られたままだったら、どうだったでしょうか。私たちは依然として罪の中にいることになります(Iコリント15:17参照)。しかし幸いなことにイエスさまは本当によみがえりました。だから私たちの罪が赦されるのです。今日のみことばにあるとおりです。「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ローマ4:25)。心から喜びと感謝をもって今も生きておられる主に礼拝をおささげしましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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