2005年4月24日
「医者を必要とする人」
ルカの福音書 5章27〜32節

 4月や5月は、会社や学校、または市町村が健康診断を実施する時期です。多くの人が喜んで参加するわけではないのですが、大きな病気を未然に防ぐために必要なのです。健康診断の結果、病気であり、治療が必要だと診断された人は病院に行って、お医者さんのもとで治療してもらいます。今日の箇所で主イエスはご自分を医者と呼んでおられます。医者を必要とするのは病人ですが、病人はだれを指すのでしょうか。

 I. 医者(主イエス)を必要とするのは病人(罪人)です。
 主イエスは恐らくカペナウムの町で、収税所に座っていたレビ(マタイ)という取税人を弟子として召したので、レビは何もかも捨てて主に従いました。そして自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたので、仲間の取税人や罪人たちが大勢食卓に着いていました。そばで見ていたパリサイ人や律法学者たちが弟子たちにつぶやいて言いました。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか」(30節)。パリサイ人たちは、取税人や罪人たちと交わると汚れると考えて、食卓などでの同席を忌み嫌ったのです。しかし、主はこう言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」(31節)。32節と合わせて考えると、医者は主イエスであり、丈夫な者、正しい人はパリサイ人や律法学者を指し、病人、罪
人は取税人たちや同席の罪人たちを指していることがわかります。主はパリサイ人たちを丈夫な者、正しい者と呼んでいますが、本当に正しいでしょうか。もちろんこれは皮肉を込めて言われたことばです。すべての人は病人であり、罪人です。

 II. 主イエスは罪人を招いて、悔い改めさせるために来られました。
 主イエスはすべての人を招こうとされたのですが、自分が正しいと思っていたパリサイ人や律法学者たちはイエスのもとに来て、罪を認め、悔い改めようとしません。確かに形の上では律法を守り、断食をしたり、ささげものをしていたでしょう。でも心から神様を崇め、礼拝し、貧しい人たちのことを心にかけていたわけではありません。心の中はどん欲で汚れていました(マタイ23:23-28など参照)。自分が罪人であり、間違っており、救いを必要としていると思っている人たちは、取税人であり、罪人でした。彼らは喜んで主イエスの招きの応じ、悔い改めて救われたのです。私たちは皆罪人で、救いを必要としています。丈夫な者ではなく、医者を必要としています。魂の医者である主イエスは私たちを罪という魂の病からいやしてくださいます。救いの中に入れてくださいます。主イエスのもとに行きましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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