2005年5月8日
「母は子の最善を願う」
サムエル記 第一 1章

 クリスチャンの親たちは、生まれた愛する子どもを主にささげます。一般に礼拝時に執り行われる献児式において、親たちは神と教会との前に自分たちの子どもを主にささげ、主を恐れる子どもとして育てるよう努めることを誓います。最後の師士であり、最初の預言者と言われるサムエルは母親によって主にささげられた人でした。

 I. サムエルは奇蹟的に生まれました。
 ある町にエルカナという人がいて、彼にはふたりの妻--ハンナとペニンナ--がありました。ペニンナには子どもがありましたが、ハンナには子どもがいませんでした。主が彼女の胎を閉じておられたからです。ハンナは夫に愛されていましたが、子どもがないことで気をもんでおり、さらに彼女を憎むペニンナがハンナをひどくいらだたせるようにしていたのです。このような中で夫とふたりの妻は毎年主の宮があったシロに上って行きました。ある年のこと心痛んでいたハンナは、主の宮で主に祈り、激しく泣いて請願を立てたのです。「万軍の主よ。もし、あなたがはしための悩みを顧みて、私に心を留め、・・・男の子を授けてくださいますならば、私はその子の一生を主におささげします」(11節)と。彼女の長い、切なる願い、祈りを、祭司のエリは、彼女が酒に酔っているのだと誤解しましたが、事態を理解して、ハンナを祝福して帰らせました。祈った後、「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった」(18節)とあります。主は彼女を心に留められて、彼女はみごもり、やがて男の子を産み、その名をサムエルと呼びました(20節)。

 II. サムエルは主にささげられました。
 夫のエルカナは、家族そろって、年ごとのいけにえを主にささげるために、宮に上って行こうとしましたが、ハンナは、「この子が乳離れし、私がこの子を連れて行き、この子が主の御顔を拝し、いつまでも、そこにとどまるようになるまでは」(22節)と言って、宮に上りませんでした。ハンナはサムエルが乳離れしたとき、多くのささげものをもって宮に上り、祭司のエルに愛する幼子を託し、主を礼拝しました。ハンナは主に願ったとおりに、男の子を与えられたので、主に誓ったとおりに、わが子を主にささげたのです(26-28節)。このようにわが子を主にささげたることは、今日どのような意味があるのでしょうか。子どもはもともと主が与えてくださったものであり、主のものです。主のものを主にお返しするのは、きわめて自然なことです。クリスチャンの親たちは、主にささげた子どもを主からお預かりして、しばらくの間親の責任において育てることを意味します。だから一人の人格を持った者として主が望まれるように育てなければなりません。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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