2005年7月10日
「主イエスのおことばの力」
ルカの福音書 7章1〜10節

 私たちは自分の信仰が強くなることを願っています。もし山を移すほどの信仰があるなら、きっと人々の病をいやしたり、必要のために祈るならば十分に与えられるに違いないと考えるかも知れません。しかしこのような信仰はどこか変です。確かに主が私たちを用いて病気の人々をいやされることは十分にあり得ることですが、それは私たちの信仰の強さによるのではありません。では主は、私たちがどのような信仰を持つことを望んでおられるのでしょうか。

 I. 主よ。わざわざおいでくださいませんように。
 「平地の説教」を終えられて、主イエスはカペナウムに入られました。そのイエスのみもとに、ある敬虔なローマの百人隊長がユダヤ人の長老たちを送って、彼のしもべを助けてくださるようにお願いしました。しもべが病気で死にかけていたのです。イエスのもとに来た人たちは、百人隊長がユダヤ人のために会堂を建ててくれたことを告げ、主にそうしていただく資格があると言いました。主イエスが彼らといっしょに行かれて、百人隊長の家の近くまで来られたとき、彼は友人たちを使いに出してイエスに伝えました。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私には、ありません」(6節)。この百人隊長はローマ人でありながら、まことの神を信じ、従っている人でした。また主イエスの本当のお姿を知っており、異邦人の自分の家にお入れするのはおそれおおいと思ったのです。ここに彼の敬虔な思い、謙遜な態度を見ることができます。主はこのような人を喜ばれるのです。

 II. ただ、おことばをいただかせてください。
 百人隊長は続けてこう言いました。「ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、わたしのしもべは必ずいやされます」(7節)。その根拠として自分も権威の下にある者なので、部下の兵士たちに命じるならば、部下はそれぞれそのとおりすると言いました(8節)。これを聞いて、主イエスは驚かれ、ついてきた群衆にこう言われました。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません」(9節)。そして、使いに来た人たちが家に帰ってみると、しもべはよくなっていたのです。この百人隊長は「強い信仰の持ち主」と言えるのでしょうか。そうではなく、むしろ主イエスに対する単純で、純粋な信仰を持っていたと言えるでしょう。主がおことばをもって病気の人々をいやし、数々の奇蹟を行ってこられたことをつぶさに見て、主イエスを素直に信じたのです。主イエスはおことばによって病をいやすことばできると。私たちに必要なことは、幼子のように主を信頼し、主にすべてをゆだねて行く信仰です。主は、そのような信仰を私たちに望んでおられるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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