2005年7月24日
「主イエスは私たちを顧みてくださる」
ルカの福音書7章11-17節

 主イエスがこの世に来てくださった目的は、私たちを罪から救い、永遠のいのちを与え、神の子どもとして教会を中心として生きるようにしてくださるためです。そしてやがて私たちは天国に行くことになりますが、それまで私たちの信仰を守ってくださるためです。そのために主は大切な御国の福音を人々に語り、人々を病からいやし、悪霊から解放してくださいました。今日の聖書の箇所は、やもめの一人息子を死から生き返らせた大きな奇蹟について語っています。

 I. 主イエスは私たちを顧みてくださいます。
 主が人々の病をいやしたり、悪霊に憑かれた人々を解放するのには、動機付けが必要です。それは主が人々をあわれみ、かわいそうに思ってくださるからです。イエスがナインという町に入られると、やもめとなった女の一人息子が町の門から担ぎ出されるところでした(11-12)。主は付き添っていた母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われました。主イエスはいつも人々を、そして私たちを見ておられ、私たちが悲しんでいたり、苦しんでいたりするとき、必ずそばに寄って来てくださって、慰め、励まし、力づけてくださいます。主は現在父なる神とともに天におられ、同時に聖霊によって私たちの中に住んでくださいます。だから私たちのことが良くわかるのです。次のみことばの約束を信じ、実行しましょう。「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブル4:16)。

 II. 主イエスは奇蹟を行うことができます。
 主は近寄って棺に手をかけられ、「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われました(14節)。すると、その死人がものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返されました(15節)。死人を生き返らせる奇蹟は福音書の中に3例しか記されていません(他にヤイロの娘=マルコ5:41-42とラザロ=ヨハネ11:44)。主は特別な場合にのみ人々を生き返らせる奇蹟を行ったのでしょう。主にはどんな奇蹟でも行う力があります。主は御父とともに天地万物を造られた方です。何もないところから次々にこの地球に必要なものすべてを造られました。最後に人間を創造しました。だから人々を死から生き返らせることがおできになるのです。この死人を生き返らせる奇蹟には、大きな意味があります。それは主イエスにいのちがあることを証明していることです。よみがえりであり、いのちであるお方の証明としてラザロを生き返らせ、ここではナインのやもめの一人息子を生き返らせたのです。だから私たちはおりにかなった助けを受けるために大胆に恵みの御座に近づきましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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