2005年8月7日
「イエスは本当に約束のメシヤか」
ルカの福音書7章18-23節

「預言者を正しく評価する」ルカ7:18-23
 預言者は、神から遣わされ、神のことばを託され(預けられ)、神に代わって人々に伝えるつとめを与えられた人です。本人には神からの啓示があり、文字通り神のことばを託されたのですが、人々はなかなかそれを認めることができません。バプテスマのヨハネは旧約最後の偉大な預言者でしたが、人々が正しく評価することは困難でした。しかし、主イエスはヨハネを正しく評価していました。主のおことばに耳を傾けましょう。

 I. ヨハネはあらゆる人々の中で最もすぐれた者です。
 主イエスが説明しておられるように、人々が荒野のヨハネのところに集まったのは、風に揺れる葦(自分の意見も定まらず、大勢の意見に左右されて右に左にと揺れる人)を見に行くためでもなく、柔らかい着物を着た人(王宮にいてぜいたくな生活をしているヘロデ王たち)を見に行くためではありません。そうではなくて預言者を見るためです。ヨハネこそ預言者よりもすぐれた人で、マラキ書に預言された、神が救い主イエスの前に遣わし、主の道を備える役割を与えられた人なのです(3:1)。このヨハネはこれまでの人々の中で最も偉大な人です。確かに救い主をその目で見、イエスを神の小羊と指し示すことができたからです(ヨハネ1:29)。

 II. ヨハネは、しかし、神の国で最も小さい者より小さい者です。
 ヨハネはこのように最もすぐれた人物なのに、どうして神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれているのでしょうか(28節)。それは主イエスによって始められた神の国の恵みに、ヨハネはあずかることができなかったからです。ヨハネは主イエスの数々の教えや多くのみわざを獄中で耳にしました。しかし主の十字架と復活、昇天とペンテコステのみわざを見ることができず、また新しい時代のキリスト者が経験する救いの恵みにあずかっていないのです。だから神の国ではヨハネの存在は大きくないのです。新約時代に生きている私たちは、すでに神の国に入っています。その事実を確認しましょう。
 イエスの時代、ヨハネの教えを聞いたすべての民は(取税人も含めて)、悔い改めてヨハネからバプテスマを受けましたが、パリサイ人や律法の専門家たちは、バプテスマも受けず、神のみこころを拒みました(29-30節)。この時代の人々は、市場で葬式ごっこや結婚式ごっこをして遊んでいる子どもたちにたとえられる、と主は言われます。これらの遊びに同調しない子どもたちがいるように(32節)、人々はヨハネもイエスも非難して信じようとしなかったのです(33-34節)。ヨハネという預言者もイエスという救い主も人々が期待していた通りの人ではなく、受け入れなかったのです。上からの知恵を与えられ、純粋な目で見て、正しい評価をしましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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