2005年8月21日
「リボンの騎士からキリストの弟子に」
山守博昭牧師【柿生キリスト教会】
ルカの福音書15章11-32節

序: 私は以前、手塚治虫の虫プロダクションで働いていました。当時150人程のスタッフがいて、「リボンの騎士」の第10話「サファイヤのカーニバル」という作品でちょうちんの絵を描いたのが始めです。その後、インスタントラーメン50個をリュックサックに入れて、横浜からナホトカに渡たり、放浪に旅の果てにスイスでキリストを信じることになったのです。

本論1 「やっぱり神様を信じることが一番」
神様は私たちに自由な心を与えてくださいました。ですから神を信じる自由も、信じない自由も与えられています。このお話に出てくる弟息子は言わば神様を信じない自由を選び取りました。神様を無視し、自分の好き勝手に生きたのです。(12・13節)
しかし、人間はその結果について誰も自由は持っていません。(14・15節)人間は好き勝手に生きても、最後は立った一人で神様の前に立たなければならないのです。
しかし、弟息子は父親を思い出しました。もし、神様が裁判官か警察官のような方だったら、私たちは過去の罪を赦されません。しかし、神様は愛のある父親に例えられます。
 神は私たちを愛し、私たちの罪を御子キリストに身代わりとして負わせ、十字架の上で罰を下し、御子を信じる者の罪を赦そうとされました。それゆえ、私たちは罪のあるまま、神に立ち返ることが赦されるのです。「やっぱり神様を信じることが一番」です。

本論2 「比較する必要はありません」
兄息子は、帰ってきた弟を喜んでお父さんが、肥えた子牛の料理を出すと、おこって、家にはいろうともしませんでした。しかし、父親は言います。(31節)
神様はあなたを愛していますが、あなたのお兄さんも愛しています。もしかしたらあなたが大嫌いな人であっても神様は愛しているのです。それに文句を言うことは出来ません。神は私たち一人ひとりを、最も愛する者として愛しておられます。信仰は「比較する必要はありません」

本論3 「神様と一緒に生きる生活とはどんな生活」
まず、キリストを信じるということは私たちの本当の家に帰ると言うことです。夏休みになると田舎に帰る人がいるでしょう。田舎に帰るとなんだか安心しませんか。
神様に国境があるわけはありません。真の神がいらっしゃるのならば、それは全世界の神です。まことの神はすべての人にとって父親です。信仰を持つことによって私たちは父のいる故郷に帰るのです。
そして父の元に返った息子はそれからずっと父と共に過ごすのです。
神を信じた私たちも、神と共に生きるのです。私たちが離れたいと思うことがあっても、神が私たちから離れることは決してありません。キリストの生涯が、それを証しています。こうして私たちは、死をも乗り越えて永遠の命に至ることができるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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