2005年10月16日
「あなたの自己評価は低すぎませんか」
コリント人への手紙 第一 4章1〜6節
 私たちはイエスさまを知ったとき、そのすばらしいご人格に触れて謙遜になります。多くのクリスチャンは、自分に与えられた能力とか、賜物を自慢しない生き方をしているでしょう。しかし、ここで注意しなくてはならないことがあります。それは謙遜しすぎて、自分自身を卑下してしまうことです。自分自身を低く評価していることです。それは、決して聖書的ではありません。では、聖書は何と教えているでしょう。

 I. 自分自身を評価せず、人の評価も気にしないことです。
 パウロはキリストのしもべとして、与えられた仕事を忠実に果たして来ました。主からゆだねられた福音を正しく理解し、正しく人々に伝えました(1-2節)。しかし多くの人々はパウロの働きを正当に評価しませんでした。コリントの教会の中にもパウロを高く評価しない人もいたのです。しかしパウロはこう言っています。「私にとっては、あなた方による判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません」と(3節)。「判定、判決、さばく」ということばは、ギリシャ語では同じことばです。私たちはしばしば自分が失敗したり、十分にできなかったとき、他人の目を非常に気にし、また自分をだめ人間だと責めてしまいがちです。誰かが次のように言いました。「私たちは、自分が思っているような人間ではなく、他人が思っている人間でさえなく、他人がそうだと思っている人間であると、自分が思っている人間なのです。」自己評価、他人の判定はしばしば間違っているのです。

 II. やがて主が正しく評価してくださいます。
 私たちが祈りつつ、与えられたつとめ(勉強や学校で任された仕事、大人の日々の仕事など)を精一杯果たしたら、後はイエスさまにすべてをゆだねることです。どんなことでも先走ったさばき・判定をしてはいけないのです(5節)。やがてイエスさまがもう一度この世においでになります(それを再臨と言います)。そのとき主は私たちの心の思いまでも明るみに出して、正しく評価してくださいます。しかもそれはすばらしい称賛なのです(5節)。実は神様の私たちに対する評価は、決して低くないのです。神様は、私たちを本当に愛してくださっているとともに、高価で尊いと高く評価してくださっているのです(イザヤ43:4)。人と人との比較は優越感か劣等感を生み出します。しかし主は、私たちを高価で尊いと評価してくださいます。なぜなら神は私たちを、神のかたちとして、神に似せて、すばらしい存在として造ってくださったからです。良い意味での高い自己評価をしましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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