2006年01月15日
「慰められ、慰める」
IIコリント1章3〜7節
 イエスさまを信じて歩むことは、そんなに楽ではありません。神様を恐れる者は、悪いことができません。うそをつくこともできません。心にもないお世辞を言うこともできないでしょう。悪いことをしない、正しいことをする、ということでいじめられたり、馬鹿にされたりすることがあるでしょう。そんなときこそ神様は私たちを慰めてくださいます。今朝はまず神様から受ける慰めについて、次に慰められた私たちは何ができるかを聖書から学びます。

 I. 私たちは神様から慰められます。
 パウロは、コリントの人たちに神様がどんなにすばらしいお方であるかを紹介しています。それは、「私たちの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。」(3節)ということばです。イエスさまの父なる神様は、あわれみに富んだ方で、さまざまな苦しみに会う私たちを慰めてくださる方です。一つの例として取り上げるのですが、会社つとめをしている人は、しばしば会社の方針に従えないことが起きます。「談合」というのは、土木や建設の工事で関係する会社が前もって相談して、入札の値段を決めてしまうことで、法律に反する悪いことです。クリスチャンになったら会社の命令といっても、談合はできなくなるでしょう。それは会社の中で働き続けるためには不利になります。でも、できないとはっきり言っていいのです。ときにはその人は苦しみに会うことになるでしょう。しかし、それが神の子どもの生き方です。「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」(5節) 学校でも神様を信じていることで、馬鹿にされたり、いじめられたりするかも知れません。そのようなとき神様は慰めてくださいます。そのことをしっかりと心に留めましょう。

 II. 私たちはほかの人を慰めることができます。
 神様から慰められた私たちは、今度はその慰めによって、どのような苦しみの中にある人をも慰めることができるのです(5節)。何というすばらしい特権ではないでしょうか。神様から救いをいただき、クリスチャンとして、あるいは神様を恐れる子どもとして神様から慰めや励まし、力をいただくことは大変貴重な経験をしたことになります。だからその人はほかの人の苦しみや痛みがよくわかるし、神のおことばを用いてその人を慰めることができます。また慰めの神様をその人に伝えることができます。私の個人的な考えですが、4節のことばは、クリスチャンとして受ける迫害や苦難、苦しみだけでなく、もう少し広い意味で使ってもいいと思います。私たちは生きていく中でさまざまな苦しみや悲しみ、不幸な出来事を経験します。そのようなとき神様は私たちを慰めてくださいます。そして私たちはその慰めによって同じような苦しみや悲しみにある人々を慰めることができるのです。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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