2006年04月23日
「財産があれば幸せか」
ルカの福音書 12章13〜21節
 多くの人は、お金がいっぱい貯まれば幸せになれると考えます。だからせっせと働いて財産を殖やそうと考えます。私たちが汗水垂らして働き、その結果多くの収穫を得られたとします。そのこと自体は決して悪いことではありません。神様は私たちの労働を祝福して、豊かな収穫を与えてくださるからです。しかし、財産を増やし、その増やした財産をどのように使うかは、大変重要なことです。主イエスが話されたたとえに出てくる男の間違いに目を向けてみましょう。

 I. 豊かな実りを与えてくださる神を忘れていました。
 主イエスは、真に恐れなければならない方は、からだもたましいも共に支配しておられる神様である、と群衆に教えておられました(1-12節)。すると一人が、「先生。私と遺産を分けるように、私の兄弟に話してください」言ったので、「貪欲」に警戒するようにと、たとえを話されたのです(13-15節)。この金持ちの畑は豊作でした。財産はさらに増えることでしょう。しかし、この男には神様への感謝の気持ちが少しもありません。恐らく自分の力で、自分の努力で豊作になったと思っていたのでしょう。ここに一番大きな間違いがあります。

 II. あり余る財産を自分のためだけに使おうと思っていました。
 彼は、あまりに作物が取れすぎて、困ってしまいました。それをたくわえておく場所がないからです。そこでこう考えました。「こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。」(18節)。彼は、自分の作物、自分の倉、自分の穀物や財産だけに関心があり、周りにいる多くの貧しい人たちのことが、全然目に入らなかったようです。彼はあり余る財産をほかの人にも分け与えるべきだったのです。
 III. いつまでも生きて、楽しめると思っていました。
 彼は、豊かな穀物と財産さえあれば、何年も休んで、食べて、飲んで、楽しめると思っていました(19節)。自分はいつまでも生きられると勘違いしていたのです。彼が忘れていた神は、こう言われました。「愚か者。おまえのたましいは今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったい誰のものになるのか。」(20節) 彼は、いのちを支配しておられる神様のことをすっかり忘れていました。彼は、自分のためには富んでも、神の前には富まない生き方をしていたのです(21節)。
 財産があると、人は往々にして高ぶってしまいます。へりくだって神様に感謝せずに、富を誇り、はかない財産に望みを置き、真の神さまに寄り頼みません。私たちは「今日のみことば」のとおりに、「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望を置くように」すべきなのです(Iテモテ6:17)。また、事業を主の御前に成功させたいと願うなら、ヤコブ4:13-15を原則とすべきでしょう。神はそのような事業を祝福してくださいます。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382