2006年06月11日
「主に従うために必要なことは?」
ルカの福音書 14章25〜35節


 主イエスの招きを受けて、救い主と信じ、どこまでも従いたいと願うことはすばらしいことです。そのような人たちは、やがて洗礼を受けて、クリスチャンとしての歩みを始めることになります。しかし、信仰生活は決して何の問題もない、楽なものではありません。こんなはずじゃなかった、洗礼を受けたのは間違いだった、と後悔する人がいるかも知れません。主に従うためにはどんな備えが必要でしょうか。主イエスは何と教えておられるでしょうか。

 I. 誰よりも主を愛さななければなりません。
 「自分の十字架を負って」主に従うとは、主に従うときに予想されるさまざまな苦しみや多くの犠牲を避けないことです。私たちの願いとしては、苦しみはない方がいいし、犠牲は最小限にとどめたいと思います。しかし、主は最初から覚悟しなければならないことを教えておられます。それは、私たちの大切な肉親を「憎み」なさい、ということです(26節)。文字通りに解釈すれば、親しい身内のすべてと別れなければ、主の弟子になれないのか、と心配してしまいます。これは、主イエスを家族の誰よりも愛すること、もし身内の誰かが、あなたが信仰を持つことに反対するなら、主の方を選び取りなさい、ということです。いずれにしても主イエスを第一として生きる覚悟が求められます。信仰は極めて個人的なものです。あなたと主イエスとの二人だけの間の関係です。その間に誰であっても介在することは許されません。主イエスを個人的に信じ、主にのみ従うことです。こうして従うときに私たちは真の意味で主イエスの弟子となれるのです。

 II. 経済的な犠牲を覚悟しなければなりません。
 主イエスの弟子になるために必要なことは第一に信仰です。主イエスを救い主と信じるならば、誰でも救われ、天の御国に入ることができます。信仰の他に何の条件も必要ありません。しかし、キリストの弟子になって、お金をたくさん儲けたいと思う人はいないでしょう。むしろ神の国の働きのために経済的にもお役に立ちたいと願うでしょう。33節のことばは厳しい感じがするかも知れません。これは次のことを指していると考えられます。人が主に従うときに、多くの財産が妨げになって主に従えないならば、その財産を捨てることを主は求めておられる、ということです。富める役人は、その豊かな財産が妨げになって、主に従えなかったのです(18:18-23)。主に従うためには、当然犠牲を覚悟しなければならないでしょうし、時には念入りな生活設計をしなければならないでしょう(28-30節)。いい加減な信仰は、塩気のない塩のようなもので、何の役にも立たず、外に投げ捨てられるだけです(34^35節)。
 しかし、そのような覚悟の上で主に従うことは、大きな祝福をいただける道でもあるのです。ルカ18:29-30、ヨハネ8:12を読んで考えてみましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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