2006年10月08日
「永遠のいのちを得るためには」
ルカの福音書18章18〜30節

 今日は午後から、ちょうど1年前に主の御許に召されました、桜木久美野姉を偲ぶ記念会を持ちます。久美野姉は、亡くなる7年前に脳腫瘍摘出という大手術を受け、その後入退院を繰り返さられました。久美野さんは最初の入院中に聖書に触れ、ご自分のいのちの重みに感謝し、熱心な求道者となって、1年後の1999年12月26日に前牧師の軍地先生により洗礼を受けられました。姉は、ご自分が救われており、永遠のいのちが与えられて、天国にいけることを確信しておられました。今日は、一人の有望な役員の求道から永遠のいのちを得るためには何が必要かを学びたいと思います。彼は主イエスの元に来て、永遠のいのちを得たいと願いましたが、得られませんでした。彼は二つの大切な事実をよく知りませんでした。

 I. 永遠のいのちはよい行いによって得られるのではない。
 マタイの平行記事によれば(19:16以下)、この役員は青年であり、真面目で誠実な人生を送っていたことがわかります。でも永遠のいのちを持っているとは思わなかったし、心の中に平安もなかったのでしょう。青年はイエスに質問して言いました。「尊い先生。私は何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」(18節) 主イエスは、「尊い」ということばが本当にふさわしい神に(実はご自分も神なのですが)目を向けさせて、十戒の人に関する戒めを守りなさい、そうすればいのちが得られると言われました(20節、マタイ19:17)。青年の答えはどうでしたか(21節)。主イエスは本当に十戒を守ることによっていのちが得られると言おうとされたのでしょうか。実はそうではなく、主イエスを救い主と信じれば、救われるのです。使徒の働き16:30-31参照。

 II. 永遠のいのちを得るためには神を第一にしなければならない。
 青年は、戒めを守ってきても何か足りないと思っていました。それでさらに行いによるのでないことをわからせるために、持ち物を全部売って、貧しい人々に分けてやりなさい、と言われたのです(22節)。ところが彼はたいへんな金持ちだったので、悲しんで去って行きました。持ち物を全部売ることなど彼には到底できないことでした。彼の問題の核心はお金に対する執着心にあったと思われます。主イエスの弟子と言われた人の中に金持ちもいました(アリマタヤのヨセフやニコデモ)。しかし彼らはお金に執着していませんでした。だからイエスさまもお金を全部売って貧しい人々に施すように言われなかったのです。主イエスを信じ、主にどこまでも従っていくためには、優先順位が必要です。それは何よりも神を第一にすることです。そのため時には大きな犠牲を払うこともあるでしょう。しかし、恵み深い主は、ご自分を信じ従う者に、永遠のいのちと豊かな恵みをくださいます。桜木久美野さんも永遠のいのちをいただいたのです。ヨハネ3:16、マタイ16:26の御言葉を味わいましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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