2006年10月22日
「具体的な願いと主のお応え」
ルカの福音書 18章35〜43節

 私たちは個人の祈りの中でさまざまな課題を覚えて、主に祈ります。中でも教会の兄弟姉妹や親しい人たちのための執り成しの祈りが多いかも知れません。でももっと個人の必要のために祈るべきと主は言っておられるようです。今日登場する盲人の切なる叫び求めは、主イエスのお心を動かしました。主はむしろ、私たちが心から願い求めるのを待っておられると考えられます。

 I. 私たちは必死に願い求めるべきである。
 主イエスと弟子たちの一行はエルサレムに向かって進んで行きました。イエスがエリコに近づかれたころ、道ばたに座って物乞いをしていた、一人の盲人が、主イエスが通られるのを知って、大声でこう叫びました。「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」(38節) しかし、イエスにつき従っていた大勢の群衆は、イエスがこんなにも忙しく、大勢の人を助けられるだけで精一杯なのに、どうして、このような盲人を相手にする暇があるだろうか、と思ったようです。先頭にいた人々は盲人を黙らせ、たしなめようとしたのですが、彼はますます、叫び立てました(39節)。主イエスは、彼の叫びに耳を傾けてくださり、彼をそばに連れて来るように言いつけました(40節)。39、41節から教えられるように、私たちは、もっと主イエスに熱心に叫び求めるべきでしょう。自分や家族の病気や人間関係、自分や家族の学校や職場におけるさまざまな問題、子育てや子どもの進路の問題、そして老後の問題---私たちが個人的に、具体的に祈り求めることはいっぱいあります。

 II. 主は私たちの願い求めに応えてくださる。
 近寄って来た盲人に対して、主イエスが尋ねられたおことばに注意しましょう。主は「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられました(41節)。主は盲人が本当にしてもらいたいことを尋ねました。確かに主はすべての人の心の内をご存じです。すべての人の祈祷課題をもご存じのはずです。しかし、主は敢えて私たちが主イエスに何をしてほしいのかを尋ねられます。盲人の願いは極めてはっきりしています。「主よ。目が見えるようになることです。」 同じように私たちも具体的な願い求めを、はっきり口に出して申し上げることです。主のお答えはどうでしたか(42節)。そして盲人はどうなりましたか(43節)。現在このような形で盲人の目が見えるようになることは一般にないでしょう。しかし、求める者に必ず納得するような応えをくださるはずです。
 この盲人は主イエスが、メシヤであることを知っていたので「ダビデの子のイエスさま。」と呼びかけました。メシヤ、救い主ですから、助けを必要としている者をあわれんでくださるに違いないと確信していました。主は盲人を直されたことによって、ご自身が救い主であることを表明されました。救い主イエスさまは、私たちの祈り、願いにも当然応えてくださいます。個人的なことを、具体的に、熱心に願い求めましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382