2006年11月12日
「主がお入り用なのです」
ルカの福音書 19章28〜40節

ルカ19:28-40
 主イエスとその一行はいよいよエルサレムに近づいて来ました。オリーブ山のふもとの村々にやって来たとき、主はふたりの弟子を使いにやり、まだ誰も乗ったことのない、ろばの子を見つけて、それをほどいて、連れて来るように言います(29-30節)。「なぜ、ほどくのか」と尋ねる人があったら、「主がお入り用なのです」と言うように命じます(31節)。二人は主が言われた通りのことを経験します(32-34節)。今日はこのろばに目を留めて考えてみましょう。
 I. 主はろばの子を必要としています。
 主イエスはエルサレムに王として入城されました。普通王様の乗る乗り物はろばやらくだではなく馬のはずです。馬は駆けるのが早く、また力強く戦いに適しています。王が勝利の凱旋をするときも、馬に乗り、威風堂々と入城します。しかし、主イエスはユダヤ人の王として、何とろばの子に乗って入城されたのです。それも皮の鞍ではなく、弟子たちが敷いた上着の上に乗られました(35節)。しかし、これは平和の君としてふさわしい入城であり、弟子たちと人々は喜んで大声に神を賛美して、主イエスを王として歓迎したのです(37-38節)。この賛美を主イエスは喜んで受け入れてくださいました(39-40節)。このように取るに足りないろばの子も主イエスは大切なご用のために用いられます。主イエスをお乗せするという名誉ある働きをするのです。これは、弟子たちや人々の賛美とともに、私たちにも当てはまることでもあります。
 II. 主は私たちを必要としています。
 私たちは主イエスを救い主と信じ救われました。先週も学んだように、救われた私たちにはそれぞれ御霊の賜物が与えられて、主と教会のため、社会の人々のためにその賜物を用いて奉仕をする特権と務めが与えられています。主を信じる者には一人の例外もなく、能力、賜物が与えられています。そして主は私たちを必要としています。教会に来て礼拝することは、私たちのできる一番大切な働きです。主は、ポスターやチラシを作り、人々に配るために、また手紙やメールを友だちに送るために私たちの手を必要としています。主はまた、主を賛美し、祈り、聖書を朗読し、主イエスをお友だちに伝えるために私たちの口を必要としています。いえ、私たちそのものを必要としています。私たちが主に感謝し、主をほめたたえ、置かれた所で光の子どもとして暗いこの世で力強く生きていることを大変喜んでくださいます。「今日のみことば」にあるように、私たちが俗悪な無駄話を避け、不敬虔や不義から離れ、自分自身をきよめるなら、主の尊いご用のために使われる器となります。「すなわち、きよめられたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(テモテ2:21) 主のために喜んで私たちをささげましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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