2006年12月03日
「人間と同じようになられた主イエス」
ピリピ人への手紙 2章5〜11節

 今年は12月24日が日曜日で、クリスマス・イブの日にクリスマス礼拝を行います。アドベント(待降節)はクリスマスの4週前から始まりますから、今年は12月3日からアドベント第1週に入ります。この待降節の期間、私たちは主イエス・キリストが事実人として来られた神さまであることをよく知り、救い主と信じ、御名を崇めたいと思います。
 I. イエス・キリストは神の御姿であれれる方です。
 「御姿」は形において示される本質的属性を表します。主は神の御姿・神の形をとっておられる方です。キリストは人として来られる前に、神としてのご本質を持っておられ、それの外部に現れた表現が神の御姿です。また「神のあり方を捨てる」とは神性を捨てることではなく、神と等しい境遇を捨てること、すなわち御位を去って人となることです。このように主イエスは神というご本質を持ちながら、人としてマリヤから生まれてくださいました。当時の人々が、外から見て普通の人間と全く変わらないイエスさまを神として、キリストとして信じられなかったのは、むしろ不思議でないかも知れません。主イエスは多くの場合神としてのご本質を隠しておられたからです。
 II. キリストは神のあり方を捨てて、人となってこの世に来られました。
 主は、御父のもとを離れるとき、御父とともに持っておられた栄光の座から降りて、この世に来られました(ヨハネ17:5参照)。また主は何の不自由のない、豊かな天での生活を捨てて、人となり、私たちのために貧しくなられました(コリント8:9参照)。確かに主イエスは家畜小屋でお生まれになり、飼い葉おけに寝かされました。さらに主イエスは罪・汚れのない生活を捨てて、この世に来て、私たち人間と同じような生活をされ、罪は犯されませんでしたが、あらゆる試みに会われました。だから私たちはおりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づくことができるのです(ヘブル4:14-16参照)。
 III. キリストは人としての性質を持ち、仕える者の姿をとりました。
 主イエスは完全に人間としてお生まれになり、最初から最後までへりくだって、人に仕えられました。主はご自分の願いではなく、御父のみこころを常に求め、十字架にまで従われました(8節)。主は私たちの罪を、代わりに負ってくださり、十字架にかかって、刑罰を受けてくださいました(コリント5:21)。私たち人間の身代わりになるためには、神が人とならなければなりません。しかし、罪のない方でなければ、全人類の罪を負うことができません。だから神が人となる必要があったのです。主が御父に最後まで従われた生き方は、私たちの模範でもあります(5節)。こうして御父はこのイエスを高く上げられて、すべての名にまさる名を与えられました(9節)。主イエスを心の中にお迎えし、御名を賛美しましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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