2006年12月31日
「主の恵みを振り返る」
申命記8章


 年の終わりに1年間の歩みを振り返るのは意義のあることです。同時にこれまで歩んできた人生を顧みる機会ともなりますから、いろいろな出来事の中で主が与えてくださった恵みの数々を覚えて、主に感謝する時となります。そこにはまた、何回かの失敗もあるわけですから、反省とお詫びも含まれます。いずれにしても私たちの人生を振り返り、反省し、感謝し、新たな決意と期待を持って、新しい次のステップを踏み出すことが大切です。モーセはイスラエルの人々をエジプトから導き出してから、彼らを率い、40年間困難な荒野の旅を続けましました。約束のカナンの地を前にして、旅の終わりに、そしてモーセの一生の終わりに、彼はイスラエルの人々に回顧と展望の長い説教をしました。

 I. 主はいろいろな試練と恵みを与えられました。
 モーセの命令は一貫しています。それはモーセをとおして命じる命令を守り行うことです。イスラエルの人々は、40年間荒野でさまざまな苦しみと試練を経験しました。「それは・・・あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」(2節) 荒野での旅は、水が足りず、食べ物もなく、時には恐ろしい異邦の民と遭遇するなど、決して楽な旅でありませんでした。彼らはその都度、指導者のモーセに、主につぶやき、反抗しました。主は彼らに罰として災害を与えることもしましたが、水や天からのパンであるマナを与えました。このような試みは、イスラエルの人々が主に従うかどうかを知るためであったのです。人は大きな試練に会うとき、本当の気持ちが出るからです。そしてマナは「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということをあなたにわからせるためであった」のです(3節)。この二つのことを良く理解することは大切です。この1年間の歩みの中でいろいろな苦しみや試練に会った方々もおられたことでしょう。それは、主に寄り頼んでいるかどうかを教えるためだったかも知れません。しかし、主はそのような中でも多くも慰めと励まし、少なくない恵みをみことばとともに与えてくださったはずです。

 II. 主は、私たちが高ぶって、主を忘れないように警告されます。
 イスラエルの人々への警告は、彼らが主の命令、主の定め、主のおきてを守らず、主を忘れないように、ということでした(11節)。主を忘れるときとは、どういう時でしょうか。それは、彼らが約束の地に入って、食物に満ち足り、立派な家に住み、家畜がふえ、金銀や所有物がふえて、彼らの心が高ぶるときです。豊かな食物とさまざまな資源に富んだその地で、試練と恵みを与えられた主を忘れ、自分たちの力で「この富を築き上げたのだ」言うからです(17節)。私たちも同様です。日常の生活が安定し、家族の中に何の問題もないときこそ、主を忘れ、主に感謝し、より頼まなくなる恐れがあるからです。「あなたの神、主を心に据え」ましょう(18節)。偶像ではなく真の神に心から従っていきましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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