2007年01月28日
「カイザルか神か」
ルカ20:19-26

 まことの神を信じているクリスチャンは、神のために働きたいと願い、御国のために与えられた務めを果たしています。同時に成人した者は、選挙権が与えられていますから、この世の務め、義務を果たしています。この二つの務めに関して主イエスは、ご自分をわなにかけようとして質問してきたユダヤ人たちに、驚嘆するような答えを返されました。主の教えから大切なことを学びましょう。

 I. カイザルのものはカイザルに返しなさい。
 律法学者、祭司長というユダヤ人の指導者たちは、どうにかして、イエスをわなにかけてローマの総督に引き渡そうと、機会をねらっていました。彼らから間者として送り込まれた者たちは、イエスにお世辞を言いながら、絶対にうそをつかせないように計って(21節)、22節の質問をしました。もしイエスが「カイザルに税金を納めよ」と答えれば、それは律法学者たちを怒らせ、イエスはローマにへつらっているとして、群衆を巻き込んでイエスを非難することができます。もし「カイザルに税金を納める必要はない」と言えば、彼らは、ローマに対して反逆したとして、イエスを訴えることができます。どう答えたとしても、主は窮地に陥ります。ところがイエスのお答えは、彼らの予想を超えたものでした。彼らに「デナリ銀貨をわたしに見せなさい」と言って、カイザルの肖像と銘があることを確認させ(24節)、「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい」と言われました(25節)。当時のローマ皇帝が必ずしも良い統治をしていたわけではありませんが、ユダヤは彼の支配下にあって、それなりの平和と秩序を保っていました。ローマの貨幣デナリは、その象徴です。だからローマに税金を納めるのは当然の義務なのです。それを「納める」ではなく「返す」と言って、税金はローマのものだと言われたのです。

 II. 神のものは神に返しなさい。
 しかし続けて主イエスは「そして神にものは神に返しなさい」と言われました。ユダヤ人たちは神の民として、聖書が与えられ、礼拝する宮も備えられ、異邦人には与えられていない恵みを享受していました。彼らは生活の必要な糧も与えられています。それらは本来神のものであり、その管理運営を人間に任されているのです。神を恐れる者は、生活費の一部を主にささげていますが、それはもともと主のものを主にお返ししているに過ぎません。ユダヤ人の指導者たちは、その点で非常にあいまいな知識しか持っていませんでした。彼らは、神のものを神にお返しすると言うより、できるだけ自分の所に残して置きたかったからです。
 主イエスの教えは、私たちにとっても大切な真理を教えています。私たちはこの世に市民権を与えられて、この世の務めを果たしています。さまざまな問題のある税金を納めることに、抵抗がないとは言えませんが、税金を納めることは、私たちの払うべきものを返すことです。そして本来神のものであるすべても良きものを、与えられているのですから、当然その一部を主にお返しするのです。主は再びそれを私たちに託して、主のご用のために用います。それが、キリスト者の務めであり、恵みなのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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