2007年02月11日
「ダビデの子・ダビデの主キリスト」
ルカ20:41-47

 私たちの信仰生活にとって、イエス・キリストはどういうお方か、をさまざまな面から知っていくことが、大切です。主イエスを知識的にも信仰的にも深く知って行くことによって、主に従っていく生き方が、本当に正しく、さまざまな困難にも打ち勝っていけると確信が持てるからです。主は律法学者たちに問いかける形でご自分の真の姿を明らかにしています。

 I. キリストはダビデの子です。
 ユダヤ人たちは長い間、自分たちが待ち望んでいたメシヤ=キリスト(救い主)は、ダビデの子孫、ダビデの家系から出る王であると信じていました(サムエル7:13、16)。主イエスがユダヤ人の王としてエルサレムに入城したとき、群衆はみな、「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に」(マタイ21:9)と言って大歓迎しました。群衆は、深い意味ではイエスをダビデの子孫、ユダヤ人の王として理解していませんでしたが、子どもでも主イエスを「ダビデの子にホサナ」と叫んでいたのです(マタイ21:15)。パリサイ人たちは子どもたちの叫びを苦々しく思っていましたが、キリスト(メシヤ)がダビデの子であることは認めていました(マタイ21:42)。ルカの福音書では、パリサイ人との問答のやりとりは記されてなく、「どうして人々は、キリストをダビデの子と言ううのですか」と主が尋ねた問だけが記されています(41節)。まず主イエスはユダヤ人の王として、ダビデの子孫として生まれたことが重要です(1:32-33)。本当に主イエスはユダヤ人の王として、人として、マリヤから生まれたのです。

 II. キリストはダビデの主です。
 しかし主イエスは、キリストがダビデの子以上のお方であることを聖書から示されました。42-43節のことばは、詩篇110:1からの引用です。ここでの大切なことばは二つの「主」です。最初の主は、父なる神を指しています。詩篇では太字の主で表されています。二番目の「主」は、私(ダビデ)の主であるお方、すなわちイエス・キリストを指しています。父なる神は、この後、十字架にかかり、死なれるイエスが、よみがえって、天に昇り、御父の右の座についていなさい、と言われるのです。世の終わりの時に、神はキリストの敵をその足の下に従わせますが、それまでキリストは御父の右の座に着いておられるのです。このお姿は、まさに、現在の主イエスの立場を表しています。だからキリストはダビデの主なのです。ダビデは御霊の働きによって、そのように告白しました(マタイ22:43)。主イエスは、ダビデの子であると同時に、ダビデの主でもあります。主イエスは人であると同時に神であります。あなたはこの事実をその通りだと受け入れますか。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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