2007年05月13日

「母は子の幸せを願う」
マタイの福音書 20章20〜28節


 今日は「母の日」です。これは今から約100年前にアメリカは東部のマサチュッセッツ州のとある小さな町で始まった行事です。その町の教会で26年間も日曜学校の先生をして、亡くなったクララ・ジャービスという婦人の追悼会に、娘のアンナがお母さんを偲び、お母さんの愛に感謝を表すために、1箱のカーネーションを会場に飾りました。これは列席した人々に深い感動を与え、やがてクリスチャンのデパート店主がこれを知ることとなり、5月の第2日曜日に店頭で盛大な「母の日」の記念会を催しました。これが1908年のことで、次第にアメリカの各地に広まることとなりました。わが国には1923(大正12)年に最初の母の日が行われました。今朝は、母の子どもたちに対する愛をヤコブとヨハネのお母さんを中心に聖書から学びましょう。
 I. 母の愛は時には、自分の子どもだけしか目に入らなくなります。
 ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)の母は、他の母親と同じように、否それ以上に自分の子どもたちを心にかけていたようでした。時は、主イエスが三度目の受難予告をされた直ぐ後で(17-19節)、一行はエルサレムへ上ろうとていました。ゼベダイの子たちの母は、サロメという名で、イエスの母マリヤの姉妹です。間もなく主イエスがエルサレムに上るので、いよいよ話に聞いていた神の国が実現する日も近いと思い、この母は二人の成人した息子と一緒にイエスのもとに来て、ひれ伏し、「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左に座れるようにおことばを下さい」とお願いしました(20-21節)。12弟子がしのぎを削っている中で、最も手強いライバルはペテロだから、イエスさまがまず二人の息子を王の次の位につけてほしいと願ったのです。イエスの弟子たちもそうなのですが、母のサロメも神の国がこの世の国でないことを少しも理解していませんでした。その上、自分の子どもが一番大事であり、愛していたので他の弟子たちへの思いやりに欠けることになってしまいました。母のサロメの取った態度には、現代の母親と極めて共通する点があります。自分の子が誰よりも大切で、他の子どもたちはライバルだという点です。
 II. 母はやがて、子どもたちが神の国のしもべにふさわしく整えられるのを見ることになります。
 主イエスの説明にあるように、母も息子たちも「自分が何を求めているのか、わかっていないのです。」(22節) イエスは間もなく十字架にかかられます(杯を飲むこと)。(弟子たちもやがて、何も知らずに答えたように、苦難の杯を飲むことになります。22-23節) そしてよみがえって、神の国を実現します。しかし神の国はこの世の王国ではありません。また、神の国に入るためには自分の罪を認め、十字架によって罪が赦され、御国の国民にふさわしく整えられなければなりません。それは異邦人の支配者たちや偉い人たちの願いや生き方とまったく逆なのです(25-27節)。偉くなりたいと思う人はみなに仕える人になり、人の先に立ちたいと思う人は、みなのしもべにならなければなりません。それは主イエスと同じように生きることでもあります。このようにして、やがて母親は、自分の子どもたちが神のみこころを知り、みこころのままに生きるようになることがすばらしい事と思うようになります。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382