2007年05月20日

「霊とまことによって礼拝しよう」
ヨハネの福音書 4章19〜26節

 ヨハネ4:19-26
 私たちは毎週教会に集まって、礼拝をささげています。私たちがどのような心・態度で礼拝をおささげすれば、主はその礼拝を喜んでくださり、受け入れてくださるのでしょうか。そんなに多くはないでしょうが、中には礼拝の中心は説教なので、説教だけを聞いて恵まれ、1週間の心の糧となればいいと思っている人たちがいます。確かに説教を正しく聞くことは、とても大切なことです。私たちはみことばの正しい解き明かしによって、主のみこころを知り、みことばに生き、みことばを毎日の生活に摘用して生きて行きます。でも、礼拝は説教だけで成り立っているのではありません。礼拝順序の初めから最後まで一つ一つのプログラムがみな大切です。今日はまことの神様にどのようなこころ・態度で礼拝したらよいのかを主イエスの教えから学びましょう。

 I. 霊によって礼拝しよう
 神は霊的な存在だから、目に見える偶像を造ったり、場所を限定して礼拝するようなことはふさわしくありません。長い間、ユダヤ人とサマリヤ人は礼拝の場所をめぐって論争して来ました。ユダヤ人は聖なる都エルサレムに神殿を建て、そこで礼拝を守ることが一番大切だと主張し、一方サマリヤ人は、このスカルの町の近くのゲリジム山で礼拝して来ました(20節)。しかし、エルサレムでもなく、ゲルジム山でもないところで礼拝する時がやって来ました。それは主イエスと共に始まったのです(21,23節)。主イエスは言われました。「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊・・・によって礼拝しなければなりません。」(24節)。霊によって礼拝するとは、まず礼拝する対象の神が霊的なお方であること、偶像とは無縁で、場所に限定されないお方であることを、十分理解して礼拝することです。次に聖霊によって新しくされた者として、聖霊に導かれて礼拝することが同様に大切です。

 II. まことによって礼拝しよう
 主イエスはまた、「神を礼拝する者は、・・・まことによって礼拝しなければなりません」と言われました。父なる神も主イエスも真理のお方であり、偽りの神々ではありませんから、私たちは神のご本質を良く理解して礼拝しなければなりません。同時に私たちの心も、そのお方を礼拝するにふさわしく整えられ、誠実な気持ちで真心から礼拝することが大切です。このように私たちは知らないで礼拝しているのではなく、礼拝するお方を知って礼拝しているのです(22節)。天地万物を創造し、私たち人間を造り、罪から贖ってくださった父なる神と主イエス・キリストを心から賛美し、真心から礼拝しましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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