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「最後の過越の食事そして聖餐」
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ルカの福音書 22章14〜23節
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レオナルド・ダビンチの「最後の晩餐」は多くの人々に知られている名画です。そこではイエスと12人の弟子たちが一緒に食事をしていますが、それは最後の過越の食事と新しく制定された聖餐で成り立っているのです。今日はこの二つの食事について学びましょう。
. 過越の食事はこれで最後となりました。
主イエスは使徒たちとともに過越の食事をすることを切に望んでおられました。この食事をユダヤ人たちは1500年以上ににわたってずっと続けてきました。紀元前1450年頃モーセの指導のもとで、全イスラエルがエジプトから脱出しましたが、その時犠牲になった多くの子羊を記念して、各家庭で過越の食事にほふられた子羊を食べてきました。他に主にパン種のはいってないパンを食べました。この儀式をイスラエルの人たちは、モーセの命令の通り守り行ってきました(出エジプト12:16-28、レビ記23:4-8)。それは実はイエス・キリストの十字架による贖いのみわざを象徴しているのです。これまでの人々の罪は牛や子羊がその人々の代わりに犠牲になることによって赦されました。それがモーセによって神がイスラエルの人たちと結んだ古い契約でした。しかしその古い契約は主イエスが来られて、十字架の贖いのみわざが完成するまでの期限付き契約だったのです。ですから過越の食事も期限付きであり、この時の食事が最後だったのです。
. 聖餐でのパンとぶどう酒は主イエスのからだと血を象徴しています。
主イエスは過越の食事の時に新しい主の晩餐、聖餐を制定されました。その時弟子たちにパンを裂いて与え、「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えて行いなさい」と言われました(19)。主は間もなく十字架にかかられて、死にますが、パンはその主のからだを表しています。これまで無数の子羊が人々の罪のためにほふられましたが、もはやその必要はなくなりました。また、食事の後に、杯も同じように皆で飲むように与えて、「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です」と言われました(20)。ここに主イエスは十字架において流されるご自身の血によって、主を信じる者は誰でもその罪が赦される道が開かれたことを宣言されたのです。後にヘブル人への手紙の記者が次のように言った通りです。「また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。(ヘブル9:12)」
私たちは聖餐にあずかるたびに、主のみわざが完成したことを確信し、私のために主イエスが死んでくださったことを感謝して、パンとぶどう酒(実際はぶどう液)をいただきたいと思います。 |
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