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「不当な裁判」
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ルカの福音書 22:63-23:12
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わが国である人が裁判で有罪が確定し、数年間服役して自由の身となってから真犯人が現れ、最近になって裁判のやり直しを始めている訴訟事件があります。これはあってはならないケースですが、罪と過ちを犯しやすい人間が検事、弁護士、裁判官を務めるのですから、絶対に間違いのない裁判を行うことは無理なのでしょう。しかし、権力者がその地位と権力にものを言わせて、不当な裁判を行ったとしたら、決して許されないことです。実は、イエス・キリストの裁判はまさにそのようなものでした。では、イエスの裁判の特徴は何でしょうか。
I. 最初から有罪が確定していました。
ユダヤ人の指導者たち(民の長老たち、祭司長たち、律法学者たち)は、ユダの裏切りによって捕らえたイエスを、裁判にかけるために議会を招集しました。彼らは前々から主イエスを殺そうと企てていましたが、自分たちで死刑にする権限はありませんでした。どうしても議会で有罪にし、ポンテオ・ピラトのもとで有罪の判決を下してもらって、ローマの兵隊たちによって刑の執行をしてもらわねばなりませんでした。第一の関門はイエスを有罪にすることです。その告訴状はイエスが神を冒涜した罪を犯した、というものです。それで「あなたがキリストなら、そうだと言いなさい」と裁判長の大祭司カヤパが代表して尋ねたとき(67節、マタイ26:62-63)、イエスのお答えは明確でした(69-70節)。主イエスはご自分が「神の子、キリスト=メシヤ」であるとはっきり言われたので、有罪にされました。人間に過ぎないナザレ人が神に等しい方であると宣言されたからです。ユダヤ人たちがもしかしてイエスは神の子キリストでないだろうかと思わなかった所に、彼らの罪があるのです。
II. 主イエスは罪がなく無罪でした。
祭司長たちを初め全員がイエスをピラトのもとに連れて行きました。ピラトに訴えてそこでの裁判でも有罪にしてもらうためです。ところが異邦人であるローマから有罪にしてもらうためには、ユダヤ人たちとは別の罪状が必要です。彼らの主張は、ここで二つ上げられています。一つ目は、イエスはイスラエル国民を惑わして、カイザルに税金を納めることを禁じたり、「ガリラヤからここまで、ユダヤ全土で教えながら、この民を扇動している」(5節)というのです。イエスには、ローマに反抗する者として反逆罪が適用されるわけです。二つ目は、イエスはヘロデ王に代わる別な王キリストだと言っている、というものです(2節)。ヘロデ王はローマが認めているユダヤの正式な王なのに、イエスが自分もユダヤ人の王だと主張すれば、ローマに背くことになるはずです。しかし、この二つの申し立ては、まったく的はずれです。主イエスはイスラエルを惑わしていません。「カイザルのものはカイザルに・・・神のものは神に返しなさい」(20:25)と言って、ローマに税金を納めることをむしろ義務づけました。またイエスは神の国の王としてこの世に来られたのです。主イエスにはまったく罪がなく、無実なのに有罪とされたのです。 |
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