2007年09月23日

「主イエスの復活の事実と意義」
ルカの福音書 24章1〜12節
 今年は4月8日がイースターでした。毎年イースターに主として福音書から主イエスの復活の事実とその意味を学びますが、今回から数回にわたって、ルカ24章から復活とそれに関わる事柄を取り上げます。

 I. 主イエスは本当によみがえられた。
 安息日が終わって、日曜日の明け方早く、女たちはイエスのからだにぬるために香料を持って墓にやって来ました。ところが墓の石がわきにころがしてあって、その中に主イエスのからだはありませんでした(3節)。このように墓の中がからっぽであることは、イエスがよみがえられたことの第1の証拠です。途方にくれている女たちに二人のみ使いが現れて、こう言いました。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人に中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(5-6節) イエスがよみがえられてここにおられないことは、あまりに意外な出来事なので、女たちは、み使いたちから説明されて、やっとイエスのみことばを思い出したほどです(6-8節)。
 主イエスがよみがえられたことの第2の、そして最も有力な証拠は、復活の主が弟子たちの前に現れたことです。4つの福音書ほかと合わせてみて見ると、まず、マグダラのマリヤに現れ(ヨハネ20:16、マルコ16:9)、続いて女たちに現れ(マタイ28:9)、その後で、恐らくペテロに現れ(ルカ24:34、气Rリント15:5)、夕方近くエマオに向かっていた二人の弟子たちに現れ(ルカ24:13以下)、その夜、10人の弟子たちなどに現れています(ヨハネ20:19以下)。このように主イエスは、多くの弟子たちの前に現れて、復活されたご自分のからだをお見せになりました。だから、イエス・キリストのよみがえりは否定できない事実なのです。

 II. 主イエスは今も生きておられる。
 このような復活の事実の上に、私たちはすばらしい信仰の確信と恵みをいただくのです。第1に、イエスがよみがえられたことで、イエスが神の御子であること、今も生きて働いておられることが証明されました(ローマ1:4)。私たちは毎週教会に集い、生きておられる父なる神と御子イエスに礼拝をささげているのです。第2に、主イエスを信じることにより、私たちの罪が赦され、神の御前に義と認められることが証明されました(ローマ4:25)。もし主イエスがよみがえらなかったなら、私たちの信仰はむなしく、私たちは依然として罪の中にいることになります(气Rリント15:17)。第3に、イエスの復活は死に対する勝利ですから、主を信じる者は、与えられたいのちによって、死に打ち勝ち、終わりの日に自らもよみがえることを確信することができます(1コリント15:20)。そして第4に、よみがえりの主は、イエスを信じる者の心の中に入って、その人を新しく生まれ変わらせます。私たちは、古い自分と決別して、新しい歩みができるのです(コリント5:17)。すばらしい恵みをいただけることを感謝しましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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