2007年10月07日

「主イエスご自身の聖書の解き明かし」
ルカの福音書 24章25〜32節
 私たちが聖書を読むとき、時々むずかしい箇所にぶつかり、その意味がわからないことがあります。そのようなとき誰かがその箇所の意味をわかりやすく説明してくれると本当に助かります。主イエスが聖書を解き明かしてくださったなら、弟子たちはどんなに嬉しく、わかりやすかったでしょう。エマオに向かっていた弟子たちは、イエスさまから直々に教えていただきました。

 I. キリストは聖書の預言のとおりに十字架にかかり死なれた。
 二人の弟子は、女たちが言った「御使いたちがイエスは生きておられると告げた」(23節)ということばを信じませんでした。ペテロもヨハネも主のよみがえりを信じなかったのです(24節)。そこで主イエスは「ああ、愚かな人たち」といって嘆息されました。主の弟子たちみなが、旧約聖書に書かれているイエスについての預言者たちのことばを信じていなかったからです。旧約聖書にはイエスについての預言のことばはたくさんありますが、まず十字架についての預言を取り上げます。皆さんもご存じのイザヤ53章には主イエスの御苦しみ(人々からさげすまれ、不当な裁判によって痛めつけられ、十字架にかかって刺し通され、傷つき、死んで葬られた)が詳しく記されています。主は私たちの罪、咎のために神に罰せられて、その打ち傷によって私たちはいやされたことも書かれています。後にペテロやパウロ、ヘブル人への記者やヨハネが十字架の意味をそれぞれに説き明かしていますが、まず主イエスがエマオへの途上で弟子たちに解き明かされたのです。

 II. キリストは聖書の預言のとおりによみがえられた。
 詩篇16篇は主イエスのよみがえりを預言した詩篇として有名です。ペンテコステの時にペテロは11人の使徒たちとともに集まったおびただしい群衆に向かって感動的な説教をしました。その中心はイエスの公的な宣教と十字架による死とよみがえり、そして聖霊の降臨でした。ペテロは旧約聖書からいくつも引用しましたが、詩篇16篇からも引用しました。その10節に「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せになりません。あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。」とあります。これはまさに主イエスのよみがえりをダビデの口を通して神が預言したものです。よみがえられたイエスさまご自身が聖書からご自分の復活を解き明かされたのです。「栄光に入る」(26節)とは、十字架から始まり、復活、昇天、御父の右の座に着かれるまでの主のみわざを指しています。いずれにしても十字架と復活だけでなく、聖書全体でご自分について書いてある事柄を解き明かしたのですから、それは長く詳しかったに違いありません。主の解き明かしのとき、彼らの心はうちに燃えていました(32節)。主の弟子たちはその原則に従い、それを手紙などに記しており、私たちはそれらによって主イエスを正しく理解し、信じているのです。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382