礼拝説教

2007年11月18日

「商売ともうけと不正」
申命記25章13〜16節

 以前もあった食品にせ表示問題が、最近次々に明るみにだされて、数え切れないほどです。恐らく皆さんも食べたことのある老舗の赤福もちも賞味期限切れのものや再利用のものを食べさせられていたようで、何とも後味の悪い感じを持っています。品物の表示を偽って、別のもっと安いものを高い値段で売りつける理由は、当然のことながら、金儲けのためです。しかし、そのような不当利益はいつまでも続くわけではありません。いつかはばれて、人々の批判の目にさらされて、信用を一気に失うことになります。聖書はどう言っているのでしょう。みことばをひもといてみましょう。

 I. 不正のはかりは主に忌みきらわれる。
 聖書の時代にも不正な商業行為はありました。商売人が売ったり買ったりするときに使う枡の大きさを大小二つ用いたり、重さを計る重り石を二つ使い分けたりしたことがありました。当然のことながら、買うときには大きい方の枡を使って、同じ値段で少しでも多く仕入れ、売るときには小さい方の枡を使って、できるだけ少ない量を渡します。重さで売り買いするときも同じです。このように二つのはかりを使い分けるのは不正であり、主の忌み嫌う商売の仕方です(13-14,15節)。わが国でも昔は酒や醤油を量り売りしていました。酒屋さんが使う枡に不正があったら、きっとたちまち評判を落として、商売が成り立たなくなってしまったでしょう。箴言にも「欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる」(11:1)とあります(他に20:10,23)。また「英知を欠く君主は、多くの者を強奪する。不正な利得を憎む者は、長生きする」(28:16)とも書かれています。昨今の不正表示による大もうけも、長い目で見れば大損であることを経営者はみな、心得るべきでしょう。

 II. 正しいはかりは主に祝福される。
 従って正しいはかりを使って、公正な商売をする者は主から祝福され、多くの利益を生むことになります。その人は主を畏れる人ですから、主のみことばをいつも心に貯えて、主の教えを喜び、みことばを実行しようとします。その人は、商売だけでなく、家庭生活でも、社会生活でも、奉仕活動でも、趣味の生活でも、あらゆる分野で祝福されるのです。創世記37章以下に登場するヨセフは、主を畏れる者として、主から愛され、彼がすることすべてが祝福された幸運な人でした。彼は奴隷としてパロの廷臣で侍従長のポティファルに売られましたが、誠実に主人に仕えました。それで「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た」(39:3)ので、「ヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた」(39:4)のです。ヨセフのような生き方、祝福され方は、特別な例かも知れません。しかし、聖書全体が教えていることは、主を畏れて、正しい生き方をすれば、主は必ず私たちを祝福してくださる、ということです(詩篇1:3、申命記25:15)。主に喜ばれ、祝される生き方をしたいものです。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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