礼拝説教

2007年12月23日

「神様からの贈り物」
マタイ1:18-25、ヨハネ3:16
 クリスマスが近づいてデパートやスーパーそのほかのお店はクリスマス・セールで大忙しでしょう。また子どもたちのいる家庭では、よい子に何をプレゼントしたらよいかと親たちは楽しくも悩んでいる時かも知れません。親が子にあるいは孫にプレゼントする、また夫婦や恋人同士がプレゼントを交換し合うことはとても幸せなことです。いただいた贈りのもを開けるときの楽しさと同時に、贈り主の暖かい心を感じてさらに心が満たされるでしょう。
 聖書の中でもっともみんなから愛されている聖書の箇所の一つはヨハネの福音書3章16節と言えるでしょう。そこに「お与えになった」ということばがあります。誰が?「神が。」 誰を?「神のひとり子を」 誰に?「世に」すなわち全人類に、そして私たち一人一人に。 なぜ?「神が私たちをこよなく愛しておられるから」 何のために?「私たちの魂が救われて、永遠のいのちが与えられて、天国に行くために」 ヨハネの3:16は神様から私たちへのプレゼントとしてイエスさまを贈ってくださったことを明らかにしています。そのプレゼントの内容をさらに詳しくマタイ1:18-25から見てみましょう。

 I. イエスは人々を罪から救うためにお生まれになりました。
 救い主イエスの誕生に際しては、マリヤと婚約していたヨセフの協力が必要でした。二人がまだ結婚して一緒にならないうちに、マリヤが聖霊によって身重になったことがわかりました。もしマリヤが不品行によってみごもったとしたら、マリヤは姦淫の罪を犯したことになり、裁判にかけられ、きびしく罰せられることになります。ヨセフは律法を守る正しい人であり、同時にマリヤを心から愛していましたから、ヨセフの方から離縁状を渡して、こっそりと去らせようと決めました。彼がこのようなことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて、真実を明らかにし、妻マリヤを迎えるように命じました(20節)。21節にある「イエス」という名は、「主は救いたもう」、「主は救う方」の意味です。主イエスは、この名の通り、「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」(21節)です。罪とは神のおきてを破ることですが(Iヨハネ3:4)、神に対する罪と人に対する罪とに分かれます(十戒、出エジプト20:1-17参照)。主イエスはご自分の民(直接はイスラエル民族、広くはイエスを救い主と信じるすべての者)を罪から救い、永遠のいのちを与えてくださるお方です。

 II. イエスは神が私たちとともにいてくださるためにお生まれになりました。
 神であるお方がその尊い御位を捨てて、人となってこの世に来てくださったのは、イザヤがその700年も前に預言した預言が成就するためでした(23節、イザヤ7:14)。「インマヌエル」とは「神は私たちとともにおられる」の意味です。神は私たちから遠く離れ、あまりにきよく正しすぎて(事実そうなのですが、そのために)、近寄ることも、呼びかけることもできないお方でしょうか。イエスさまがお生まれになったことにより、神様は私たちの直ぐ近くにおられるお方であること、それも私たちと同じような人間になって、私たちと共に生活してくださった方となりました。それゆえに私たちの悩みも悲しみも苦しみも痛みもすべてご存じで、それらをことごとく分かち合ってくださる方なのです。だから私たちは、恐れなく大胆に主イエスに近づき、私たちのあらゆる問題をそのまま申し上げることができます(ヘブル4:15-16参照)。主は私たちの祈り、願い、叫びに必ず耳を傾けてくださいます。主イエスを信じ、信頼して行きましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382