礼拝説教

2008年1月20日

「イエスの十字架と復活と高挙」
使徒の働き2章22〜36節

 イエス・キリストを救い主と信じる者は、一人の例外もなく聖霊という賜物をいただくことができます。まさしく快挙ともいうべきこの恵みの授与は、ペンテコステの時から始まりました。ペンテコステにおける聖霊の降臨は、一連の主イエスの救いのみわざのいわばクライマックスというべきもので、その前に十字架・復活・高挙のみわざが必要です。今日はペテロの説教から学んでいきます。

 I. イエスは十字架につけられ、死なれた。
 ユダヤ人たちは、ナザレ出身のイエスを約束されたメシやとはどうしても信じられず、サンヘドリンの議会で有罪にし、ローマ人の手に引き渡して十字架につけて殺してしまいました。それはすべて神の定めた計画と神の予知によることですが、彼らの責任はきわめて大きいのです(22-23節)。そのことは36節でも繰り返され、ユダヤ人たちの責任が改めて問われています。しかし、同時にイエスの十字架は全人類の救いのためでもあります。主イエスを信じる者は誰でも十字架による罪の赦しの恵みにあずかります。

 II. イエスは3日目に死からよみがえられた。
 もともと罪のないお方ですから、この方がいつまでも死につながれているはずがありません。神はこの方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました(24節)。それはダビデが詩篇の中で次のように預言した通りです。「あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。」(27節、詩篇16:10) ダビデは自分のことを預言したのではなく、彼の子孫の一人であるイエスについて言ったのです(30-31節)。この預言の通りに主イエスはよみがえりました。12使徒を中心に弟子たちは、イエスの復活の証人なのです(32節)。

 III. イエスは天に上げられ、神の右に着かれた。
 このことについてもダビデが預言しています。「主は私の主に言われた。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。」(34-35節、詩篇110:1) 主なる神は「私」ダビデの主であるイエスに言われたのです。「わたしがあなたの敵であるサタンを完全に敗北させるまでは、わたしの右の座についていなさい」と。このようにダビデではなく主イエスが天に上り、御父から約束の聖霊を受けて、このペンテコステの日に聖霊をお注ぎになったのです(33節)。
 聖霊がすべての人に注がれたペンテコステのみわざは、十字架・復活・高挙という一連の救いのみわざが完成して初めて実現するのです。主イエスを信じる者は誰でもこの聖霊をいただくことができます。もちろんあなたも聖霊の恵みにあずかれます。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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