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「2000年前の教会生活」
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使徒の働き2章40〜47節
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教会が2000年の間、少しも途絶えることなくずっと続いてきたことを改めて考えるとき、驚きと感動を覚えます。現在に至るまで様々な問題が起こったでしょうし、少なからず迫害があったわけですから、それらを乗り越えて教会が存続し続けたことは、主のご介入、そして恵みと導きがあったからでしょう。ペンテコステの日に発足した教会の姿はどうだったのでしょう。今日はそのうちの大切なことを考えてみましょう。
I. 兄弟たちは使徒たちからの学び、交わり、聖餐式、祈りに専念していた。
今日あるような教会堂はまだなく、弟子たちは大きな家々で共同生活をし、使徒たちから多くを教わりました。主イエスがなさったしるしや教え、弟子として従っていく上で大切なこと
---それらは使徒たちの手紙の中に残っています---を真剣に学んだことでしょう。そして兄弟姉妹の交わりも祝されました。このように大勢の人たちが一緒に生活をともにすることは大変だったでしょうが、互いの交わりや伝道活動などをともにしたことでしょう。聖餐式も常に行っていたようです。「パンを裂く」ということばで出てきますが、ぶどう酒も用いられました。初代教会では主イエスがなさったように、みなで食事をする愛餐会とともに行ったのです(Iコリント11:20-21参照)。今日は聖餐式の回数が少なくなっていまが、聖餐式は信仰の成長のために大切です。そしてみなで集まって祈りに専念していました。個人的な祈りとともにいわゆる祈祷会が初代教会から重用視され、それが今日まで続いています。
II. 兄弟たちは宮に集まり、礼拝をし、すべての民に好意を持たれた。
弟子たちは家々で生活を続けながら、土曜日(まだ日曜日の礼拝はありませんでした)だけでなく、毎日、心を一つにして宮に集まり、礼拝をしていました(46節)。恐らく主イエスが弟子たちと行っていた礼拝をした後で、主イエスご自身のこと、すなわち福音が語られたでしょうから、反発するユダヤ人と議論をたたかわす反面、伝道のよいチャンスの場となりました。それは、使徒の働きでこれから見ることになります(例えば5:42)。その結果、主によって毎日救われる人々が仲間に加えられました。同時に彼らはよい証しができていました。神を賛美し、すべての民に好意を持たれたのです(47節)。ユダヤ人の指導者ではない一般の人々は、弟子たちの互いに愛し合う生活を目の当たりに見て、心を動かされ、福音を素直に受け入れたものと思われます。そのように、よい証しと福音の宣教は今日でも大切な要素です。初代教会もそして今日の教会も祝されています。 |
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