礼拝説教

2008年2月17日

「全地をまかせられた人間の責任」
創世記 1章26〜31節、3章14〜19節
 最近私たちは、「エコロジー」と言うことばをよく耳にし、また使います。日常生活を振り返りながら、私たちの衣食住の生活が環境にやさしいやり方をしているだろうか、と考えさせられています。それほど環境問題、なかでも地球温暖化が身近になってきているのです。「エコロジー」は、「生態学」と訳されていますが、もともとギリシャ語の「家」+「学問」の意で、「生活環境に関する学問」の意味です。「エコロジー」を聖書から学ぶことはむずかしいのですが、根本的な原則が聖書に示されていると考えられます。

 I. 人間は、初めに、すばらしい環境のもとで造られた。
 神は、6日間で天地万物を造られましたが、そのとき「見よ。それは非常に良かった」のです(創世1:31)。人間は創造のみわざの最後の段階で登場しますが、その人間はまだ罪を犯していなかったので、神に喜ばれる生き方をしていたに違いありません。神は最初に造った男と女を祝福してこう言われました。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(1:28) 人間は、「神のかたちとして」「神に似せて」造られましたから、地球のすべてのものを管理し、開発する能力と務めが与えられました。非常にすばらしい環境である「エデンの園」を中心として、回りの環境を整えて行く務めに生きていたのです。残念ながら、最初の人間のアダムとエバが罪を犯してしまいましたが、なおすべての人間に、地球の生物と資源を支配・管理する務めがゆだねられているのです。詩篇8:6-8でダビデが主を賛美しているとおりです。

 II. 人間は、のろわれた環境のもとで生きて行かなければならない。
 最初の人間が神の前に罪を犯した結果、人は死ななければならないことと、特に男は顔に汗して働かなければ生活の糧を得ることができなくなってしまいました。それは、男が女とともに神に背いた結果、土地がのろわれて、かつてのように少しの労働で豊かな収穫が得られなくなったからです(創世3:17-19)。エデンの園を中心にかつてはあんなに繁茂したメソポタミヤの地は次第に荒れて行きました。今日まで続く土地の荒廃、ある種の動物や鳥、魚などの絶滅や減少、環境汚染など人間の罪と深く関わっていると思われます。ノアの洪水は、当時生きていた人間のすべてが神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていたために、ノアの家族を除いて、すべての人間を地上から消し去る神のさばきでした(6:5-13ほか)。ノアの家族から再び全人類が地上に増え広がって行きますが、洪水の後では、主は「決して再び人のゆえに地をのろうことはすまい」と言われ、季節の移り変わり、人間の地上での営みがこれから続くことを約束してくださいました(8:21-22)。私たちに与えられた地球の管理・開発は、今こそ神を恐れて、御心にかなった仕方で行っていかなければなりません。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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