礼拝説教

2008年2月24日

「預言者によって約束されたメシヤ」
使徒の働き3章11-26節
 私たち日本人は、クリスチャンになるまであまり聖書を読みません。それに私たちの回りの多くの人たちは、聖書やキリスト教とほとんど関わりのない生活を送っています。私たちがまことの神を知らない「異邦人」の社会に生きているからです。一方ユダヤ人には聖書(旧約)が与えられ、彼らを救うメシヤについて預言され、みながメシヤがやって来るのを待ち望んでいました。だからユダヤ人に対する伝道メッセージは、彼らが知っている旧約聖書から説得することが常道なのです。同時にペテロのメッセージは、いつの時代でもあらゆる民族に語られるメッセージでもあります。

 I. キリストについての預言を理解しよう。
 旧約聖書にはキリスト=メシヤ=救い主の預言が多くあります。主イエスによる救いの中心は十字架と復活ですが、それも旧約にはっきりと記されています。多くの人が知っているイザヤ53章には、苦難のしもべとしてのメシヤが十字架によって死なれることが明確に書かれています(4-6、7-9節など)。そして救いが完成するために、神はイエスを死からよみがえらせました(詩篇16:10-11参照)。ペテロが今日の箇所で強調しているとおりです(13-15、17-18節)。確かに、ユダヤ人たちは無知なために、メシヤであるいのちの君を十字架にかけて殺してしまいましたが、それは預言を成就するためでもあったのです。罪を持った人間がその欲望のままに行動して、みこころを実現するのは、不思議なことですが、事実なのです。

II. キリストを信じて、正しい生活をしよう。
 イエス・キリストを信じることと罪を認め、悔い改めることは切り離すことができません。キリストの十字架は、私たちの罪のためであるからです。ペテロの説教を聞いていたユダヤ人たちは、自分の罪がわかったことでしょう。ペテロは「あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい」(19節)とか、「ひとりひとりをその邪悪な生活からた立ち返らせてくださるため」(26節)と言って、彼らの生活が罪と悪と汚れに満ちていたと指摘しています。確かに今日でも同じですが、富める人もまずしい人も、金銭的あるいは道徳的な罪を犯し、特に社会的に地位の高い人は、弱い立場の人に対する思いやりがなかったのでしょう。人はみな大なり小なり罪ある生活をしていますから、それを悔い改め、神に立ち返り、救い主イエス・キリストを信じなければなりません。そして主が再びこられるまで、主に喜ばれる生活をするのです(20-23節)。主イエスを信じ、従っていきましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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