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「心を一つにして祈る」
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使徒の働き4章23〜31節
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私たちの教会を含め、多くの教会にはみんなで祈る祈祷会があります。皆が一同に会して、心を合わせて祈ることは、いつから始まったのでしょうか。実は、初代教会の発足と同時に始まりました(使徒2:42)。いやむしろ、発足の前、ペンテコステの時までの10日間、弟子たちは心を合わせて祈りに専念したのです(1:13-14)。そのような祈りは聞かれたでしょうか。そのとおり聞かれました。どのような状況だったのか、見てみましょう。
I. 「みことばを大胆に語らせてください。」
弟子たちは、すでにユダヤ人指導者たちによって迫害されていました。復活の主イエスを大胆に語り、その宣教によって多くのユダヤ人たちが主を信じ、洗礼を受け、弟子に加えられたからです。議会で尋問を受け、イエスの名によって語ることを禁じられて、釈放された彼らは、仲間のところへ行き、出来事の一切を報告しました(23節)。そこで仲間たち一同がしたことは、主に対する熱き祈りでした。まず、指導者たちが主イエスに対して行ったことは、旧約聖書の預言のとおりであることを申し上げ(25-28節、詩篇2:1-2)、続けて最も重要な祈りをささげました。それは、「彼らの脅かしをご覧になって、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください」というお願いでした。そのみことばの宣教をより効果的にするために、いやしとしるしと不思議を伴わせてください、と付け加えました。弟子たちは、ユダヤ人たちの迫害をなくしてくださいとも、軽くしてくださいとも祈りませんでした。
II. 彼らは神のことばを大胆に語りだした。
彼らの祈りは聞かれたのでしょうか。そのとおりです。主は弟子たちの切なる祈り願いを聞き、直ちに答えてくださり、「一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした」のです(31節)。このときしるしや不思議が伴ったでしょうか。もちろんそれはありませんでした。彼らの願いは、迫害の中でみことばを大胆に語ることだったからです。みことばを語るときに聖霊が働き、人々はみことばを素直に受け入れ、彼らの心の中に悔い改めと信仰が与えられて、救われるのです。そのとき、もし必要ならば、みことばにいやしやしるしがともなって、人々がよりみことばを受け入れやすくなります。このように弟子たちの切なる願いは、どんな時にも福音を語ることでした。その後の彼らの働きは、主の助けをいただいて、恐れずににみことばを語ることであり、その結果、救われる人々が大勢与えられました。今日でも同じです。私たちの願いも、それぞれ置かれたところで救われた時の恵みをあかしし、福音を語ることです。それこそ主イエスが私たちに望んでおられることです。 |
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