礼拝説教

2008年4月20日

「共同生活の初代教会」
使徒の働き4章32〜37節
 教会が発足した当時、人々は大きな家に分散して集まり、共同生活をしていました。地所や家を持っている者はそれを売り、代金を携えて来て、いわば教会の会計に入れ、必要にしたがって一人一人に分配されました(34-35節)。彼らはまた、心と思いを一つにし、だれ一人持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていました(32節)。初代教会は、使徒たちを中心に福音を宣べ伝え、毎日のように信者が加えられる一方、ユダヤ人たちから迫害を受けていました。こういう中での彼らの共同生活は、二つの面で有効でした。

 I. 使徒たちは主イエスの復活を力強くあかしした。
 イエスの弟子たちの切なる願いは、どんなに困難な状況の中でも、復活の主を宣べ伝えることでした。釈放されたペテロとヨハネを迎えた仲間たちが心を一つにした神に祈ったのは、迫害の中でみことばを大胆に語らせてください、ということでした(29節)。その祈りが聞かれたのですから、使徒たちはますます大胆に、主イエスの復活を力強くあかししました。復活の主を宣べ伝えることは、主から託された重要な命令ですから、どんな犠牲を払ってでも、しなければなりません。そのための有効な手段は、増えて行く信者全員が共同生活をして、一人も乏しいことがなく、使徒たちが宣教に専念できることです。当時の人たちの多くは、豊かでなかったと思われるので、地所や家を持っている人たちが、大きな犠牲を払うことになったのです。しかし、彼らは喜んで自分の財産をささげたことでしょう。

 II. 彼らは食事をともにしつつ、愛の交わりをしていた。
 このような危機的な状況にあって、なお大勢の教会員が衣食住に事欠かないことは、むしろ奇蹟的とさえ言えるかも知れません。主イエスを信じた者たちに主の愛が与えられ、彼らは自分のことより仲間の者たちの生活と幸せを考えたことでしょう。彼らがともに囲む食卓には、真の交わりがありました。愛餐(ギリシャ語でアガペーと言います)は、まさに愛の交わりでもありました。信者たちが一つ心、一つ思いになり、貧しい人たちへの心配り、悲しんでいる人たちへの慰めと励まし、病気の人たちのためのいやしの祈りとケアなどができたのは、毎日の生活をともにすることだからこそできたのです。
 このような初代教会の共同生活は、当時の特殊な時代背景にあって極めて効果的なあり方でした。そうしなければ、日ごとに増えて行く貧しい信者を、迫害と窮乏から守れなかったでしょう。また、使徒たちが主イエスの復活を力強く宣べ伝えることもできなかったでしょう。ただ、このような共同生活は、やはり無理な体制であったため、長くは続きませんでした。やがて彼らは、それぞれの家庭に戻り、現在と同じように、週の初めに教会に集まり、礼拝と交わりをするようになりました。しかし、初代教会の精神は依然として、現在に引き継がれているのです。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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