礼拝説教

2008年4月27日

「主を畏れることの大切さ」
使徒の働き5章1〜11節
 初代教会は、使徒たちの宣教によって、大勢の人々が救われ、皆が大きな家々に集まって行う共同生活から始まりました。そこでは、皆が食事をともにし、互いに助け合い、愛の交わりがありました。しかし、そのような中で問題を起こす人たちが現れました。アナニヤとサッピラという夫婦です。彼らの起こした問題は、実に重大でした。

 I. 主を畏れない者たちの犯した罪
 アナニヤはその妻サッピラとともに、その持ち物を売り、妻が承知の上でその代金の一部を残しておき、他の部分を持って来て、使徒たちの足下に置きました。彼は、地所を売り、その全部の代金を持って来ました、と使徒たちに言ったのです。ペテロは、彼が偽りの報告をしたことを直ちに見破り、「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の一部を自分のために残しておいたのか。・・・あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と言いました(3-4節)。このことばを聞いたアナニヤは、たちまち倒れて息が絶えてしまい、青年たちが彼を葬りました。3時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずに入ってきました。ペテロが「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか」と尋ねると、彼女は「はい。その値段です」と答えました(8節)。ペテロが彼女に言ったことばも衝撃的でした(9節)。彼女は、たちまちペテロの足下に倒れ、息が絶え、青年たちが彼女を運び出し、夫のそばに葬りました(10節)。それにしても、なぜ彼らは死ななければならなかったのでしょうか。

 II. 主を畏れることの大切さ
 彼ら夫婦はいわば善意で持ち物を売って、その代金の一部を残して他の部分を使徒たちの所に持って来たのです。教会としては、その多くの必要が満たされるのだから、感謝すべきでしょうか。問題は、彼らが代金の一部を残しながら、代金の全部を持って来た、と言ったことにあります。それは、聖霊を欺き、神を欺く行為であり、主の御霊を試みる行為であって、主の御前に赦されない罪なのです(3,4,9節)。それは、主イエスが言われた「聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても・・・赦されません」(マタイ12:32)に当てはまる罪と言えるでしょう。アナニヤとサッピラは、どうしてうそをついてしまったのでしょう。彼らは二つの欲望を同時に満たしたいと願ったからです。一つ目は、バルナバが教会の人たちから得た賞賛を、自分たちも得たいと思ったことです(4:36-37参照)。二つ目は、しかし、代金全部を教会に差し出すのはいかにも惜しい。だから、どうしても一部を残しておきたいと願ったことです。実は、彼らは始めから正直に言えばよかったのです。そうすれば許されたはずです(4節)。
 今日では考えられないほどのきびしい刑罰と言えるでしょう。その理由は、ようやく始まったばかりの教会が、もしこのような欺きがそのまま許されてしまうならば、内側からもろくも崩壊してしまう危険性にあった、と言えるからです。二人の死の結果に注目しましょう(5,11節)。主を畏れる生き方が大切なのです(ガラテヤ6:7参照)。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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