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「父の思い、母の願い」
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創世記 25章19〜34節、27章1〜10節
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今日は「母の日」です。私たちがこの世に生を受けることができたのは、母親が産みの苦しみを経て、産んでくださり、様々な困難があったかもしれない中で、育ててくださったからです。もちろん父親も最初からずっと関わってくださいましたが。今朝は、イサクとリベカという夫婦が二人の息子、エサウとヤコブとどう関わって行ったかを、聖書から見て行きましょう。
I. 両親はそれぞれ息子たちを別々に愛した。
アブラハムの一人息子のイサクは、主の導きによって、親類のリベカを妻に迎えました。しかし、二人の間には20年もの長い間子どもができず、イサクは妻のために主に祈願し、ついにその祈りが答えられ、妻は身ごもりました。しかし、彼女が身ごもったのは双子で、子どもたちは胎の中でぶつかり合いました。リベカは困惑し、主にみこころを求めた結果、主が仰せられたのは、子どもたちの将来の定めについてのものでした(25:23)。それは、二人から二つの国民が分かれ出て、兄は弟に仕えるというものです。やがて出産の時になり、兄は赤くて,全身毛衣のようであり、弟は兄のかかとをつかんでいました。それでそれぞれエサウ、ヤコブと名付けられました(25-26節)。成長したとき、兄は巧みな猟師、野の人となり、獲物の好きなイサクはエサウを愛しました。一方弟は穏やかな人となって、天幕に住み、リベカはヤコブを愛しました。このように両親が自分たちの好みによってそれぞれ息子たちを別々に愛したことは、決して良い結果を生みませんでした。兄弟同士が互いに尊敬し合ったり,いたわり合ったりすることなく、やがて、いっぱいのレンズ豆の煮物と引き換えに、ヤコブがエサウから長子の特権を買い取るという結果になったのです。
II. 父はみこころに反して長男を祝福しようとした。
このような中でイサクは年を取り、視力が衰えてよく見えなくなりました。いつ死ぬかわからないと思ったイサクは、長男のエサウを呼び寄せ、獲物を捕って来ておいしい料理を作り、食べさせてほしいと頼みます。その料理を食べてから長男を祝福すると言ったのです(27:2-4)。一方、イサクがエサウと話をしていたのを聞いたリベカは、ヤコブに、イサクをだましてエサウへの祝福を横取りするように勧めます。そのため手の込んだ陰謀を画策し、ヤコブに実行させました(6-25節)。計画はまんまと成功し、イサクはエサウに与えるべき祝福を、ヤコブに与えてしまいました(26-29節)。後からやって来たエサウは、だまされたことを知り、痛み悲しんで、父に祝福を求めました。しかし、彼はむしろ呪いのような預言を与えられ(39-40節)、ヤコブを深く憎み、殺そうとしました(41節)。それを知った母は、ヤコブを彼女の兄のいるパダン・アラムの地に逃れさせました。実は、イサクがエサウを祝福することが間違っていたのです。かつてリベカが、主からみこころを受けていたのを知っていたはずですから、イサクはヤコブを祝福すべきでした。それにヤコブも母とともに祈りつつ,父からの祝福を待つべきだったのです。 |
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