礼拝説教

2008年5月18日

「神のみわざか、人の行為か」
使徒の働き 5章33〜42節
 初代教会は、使徒たちがキリストの福音を宣べ伝えた結果、多くの人たちが救われて教会の連なり、教会は増え広がっていきました。しかし、同時にユダヤ人たちの激しい迫害に遭い、もしかして教会がつぶされてしまうかも知れませんでした。しかし、教会はしっかりと立ち続けたのです。どうしてでしょうか。今日は、ユダヤ人の一指導者のことばから学んでみましょう。

 I. 人から出た働きは消えてしまう。
 教会がこのように、目に見える形で増えて行ったのを、目の当たりにしたユダヤ人たちは、怒りとねたみに駆られて、使徒たちを殺そうとしました。しかし、ここにすべてのユダヤ人たちに尊敬されていた律法学者で、パリサイ人のガマリエルが、議会の中で注目に価する発言をしました。すなわち、この際、使徒たちから手を引き、放っておきなさい。もし、使徒たちの計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうだろう、ということです(38節)。その根拠として、先頃反乱を起こしたチゥダを例に挙げました。彼は自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男たちが400人ほどあったけれど、結局彼は殺され、彼に従った者はみな散らされて、跡形もなくなったのです(36節)。また同じように反乱を起こして滅びてしまったガリラヤ人ユダの例も挙げました(37節)。確かに彼の言う通り、人から出た働きは、当初どんなに勇ましいように見えても、神の働きではないので、やがて消えて行ってしまいます。

 II. 神から出た働きは必ず立つ。
 続けてガマリエルはこう言いました。「しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには、彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは、神に敵対する者になってしまいます。」(39節)彼の言ったことは正しいのです。初代教会は決して滅びなかったからです。後で見るように、使徒たちを通して神のことばは広まって行き、多くの人たちが信仰に入り、弟子となりました。その中には、祭司たちも大勢いたのです(6:7参照)。福音宣教は、最初からユダヤ人の迫害を受け、ステパノやヨハネの兄弟のヤコブを初め、多くの弟子たちが殉教しました。しかし、教会をつぶすことはできず、迫害が激しくなればなるほど、教会は強く,大きくなりました。英語の「殉教者」(マーター)ということばはギリシャ語の「証人、あかし人」(マルテュス)から出たことばです。初代教会の弟子たちは主イエスの十字架と復活の証人として福音を語り、自らの救いの体験をあかししました。その結果、死に至ることもしばしばで、彼らの生き方がやがで「殉教者」ということばを生むことになったのです。
 サンヘドリンの議会でむち打たれ、釈放された使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに価する者とされたことを喜びながら、議会から出て行って、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリスト(救い主)であることを宣べ伝えました(41-42節)。箴言19:21参照
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382