礼拝説教

2008年6月29日

「偶像礼拝は魅力的か」
使徒の働き 7章35〜43節
 わが国は、昔から八百万(やおよろず)の神々があふれている国です。町中に住んでいる人ならば、自分の家を出て、10分もしないうちにお寺や神社の二つや三つに出会います。また、生まれて間もなく宮詣に行ったり、七五三のお祝いに一家で出かけます。その上、人々はお祭りが大好きです。そこには大きな魅力があるのでしょう。今日は、偶像の魅力をイスラエルの民との関わりから学んでみましょう。

 I. 偶像には、十戒のような厳しい戒めがありません。
 モーセは、神によってイスラエルの指導者として任命され、大勢の民をエジプトでの奴隷状態から解放し、荒野での40年間彼らを導きました。神はまた、シナイ山でモーセに十戒を初め、重要な律法を数々授けましたが、その間に、ふもとに待機していた民はモーセを退け、アロンに頼んで金の子牛を作ってもらい、それを拝んだのです。偶像には大きな魅力があります。それは、十戒のような厳しい戒め、律法がないのです。人はだれでも安易な生活を求めます。厳しい掟よりゆったりした規則の方を好みます。イスラエルの民もそうだったのでしょう。

 II. 偶像は、人間が好きなように作ることができます。
 イスラエルの回りの国々は、エジプトを含めて、すべて偶像の神々を作り拝んでいました。子牛はエジプトの慣れ親しんでいた神々でした。またやがて入って行くカナンには豊穣(ほうじょう)の神々であるバアルの神(男神)やアシュタロテの神(女神)がおり、回りの国々も、例えば43節にあるように、人身御供をするモロクの神々や土星を拝むロンパの神々がありました。どの国の神々も同じですが、それらはみな人間が手で作ります。だから人間の好きなように作ります。ただ、偶像の神々の中には、時には人間を怒って、雨を降らせなくしてききんをもたらしたり、大雨を降らせて大洪水を起こす恐ろしい神ですから、人をいけにえとしてささげてなだめようとする残酷な神々もあるのです。しかし、本当は偶像は無力です(イザヤ44:9参照)。

 III. 偶像は、人々の楽しみと共存します。
 多くの人々にとって偶像の魅力は、人々が欲望のままに生きることを許すことです。モーセの時も、アロンが作った子牛の回りで、「民はすわっては、飲み食いし、立っては、戯れた」とあります(出エジプト32:6)。わが国においてもお祭りは、礼拝というより人々の楽しみの時です。神輿を担いで街を練り歩いた後で、飲み食いに興じるのはごく自然です。このように偶像の神々は、人々のの欲望にブレーキを掛けるどころか、それを後押しするのです。しかし、イスラエルの民は、本来真の神を知っている民です。そしてやがて到来するメシヤを待ち望まなければならない民族です(37節)。だから、主は彼らを罰し、バビロンへ移し、心からの悔い改めとまことの神へ立ち返る準備をさせるのです(43節)。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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