礼拝説教

2008年7月6日

「いと高き方はどこに住まわれるのか」
使徒の働き 7章44〜50節
 イスラエルの人々は、神のご命令によって、モーセの時代には「あかしの幕屋」(または「会見の天幕」)、ソロモンの時代には壮大な神殿を造りました。人々は祭司を中心としてそこで礼拝をささげ、祈りをしました。しかし、目に見えないまことの神様が果たして幕屋や神殿に住まわれるのでしょうか。そして現在はどうでしょうか。今日もステパノの説教から学びましょう。

 I. まことの神は神殿には住まわれません。
 いと高き方、主なる神は手で造った幕屋や神殿にはお住みになりません。ステパノが言う通りです(48節)。また彼はイザヤ66:1から「主は言われる。天はわたしの王座,地はわたしの足台である」と引用して、それを根拠づけています。確かに、神は天地万物を創造された方ですから、場所に限定されません(50節)。神はあらゆる所に臨在しておられるし、人は神のもとから逃れて、神のいない所へ飛んで行くことができません(詩篇139:7-10参照)。また、ダビデが切に願っていた、神のための宮を建てたソロモンが次のように言っています。「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらです」(I列王8:27)。ですからまことの神様が人間が造ったちっぽけな宮に住まわれるはずがないのです。全智全能のお方を限られた空間に閉じ込めることなど所詮無理なのです。

 II. まことの神は宮に住んでくださいます。
 先のことと矛盾しているように思われますが、事実神は、幕屋や神殿に住んでくださいます。モーセの時代にイスラエルの人々は、神がモーセへ命じた通りに、細かい仕様に従ってあかしの幕屋を造り、やがてそれを約束の地に設置し、その所で礼拝をささげました(44-45節)。神はモーセにこう約束されました。「その所で(会見の天幕のこと)わたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる」(出エジプト29:43)。また、ソロモンは、自ら建てた宮に関してさらにこう祈っています。「そして,この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください」(I列王8:29)。幕屋や宮に神がご臨在してくださるのは、イスラエル人が主に従って、そのご命令の通りにそれらを造り、ご命令通りのいけにえをささげて、心からの礼拝をささげるからです。主が「わたしの名をそこに置く」と約束してくださるから、住んでくださるのです。しかしイスラエルの人々は、宮を形式的に捕らえ、形だけ聖なるものとし、守ろうとしました。それが問題だったのです。
 今日主イエスは、主の御名によって集まる私たちの中にいてくださいます(マタイ18:18-20参照)。私たちは、御父と主イエスに、霊とまことをもった心からの礼拝をおささげしましょう(ヨハネ4:24)。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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