礼拝説教

2008年8月3日

「神の賜物を金で買えるか」
使徒の働き8章14〜24節
 迫害によって散らされた弟子たちによって、福音はサマリヤの地にも伝えられました。これまではユダヤ人たちから付き合いを拒まれていた人たちも、ピリポが語ることばに耳を傾けました。そして神の国とイエス・キリストの御名を信じてバプテスマを受けたのです。しかし彼らにはまだ、聖霊が与えられていませんでした。

 I. 聖霊は使徒たちによって与えられた。
 今日の私たちは、主イエスを信じたとき、罪の赦しと聖霊を同時にいただきます(使徒2:38参照)。ペンテコステの時に集まった多くのユダヤ人も、ペテロの説教を聞いて悔い改め、主イエスをキリストと信じてバプテスマを受けましたが、そのとき使徒たちに与えられたのと同じ聖霊を受けたはずです。しかし、サマリヤの人たちには、使徒たちが遣わされるまで聖霊はとどめ置かれました。その理由は、サマリヤ人たちもイエスを信じることによってエルサレムの教会と同じ主の教会のメンバーになれることを、使徒たちの権威によって証明する必要があったからです。ペテロとヨハネがエルサレムからサマリヤに下って行き、人々が聖霊を受けるように彼らの上に手を置いて祈りました。すると彼らは聖霊を受けましたが、このとき回りの人々がわかるようなしるしを伴ったようです。恐らく彼らは聖霊を受けたとき異言を話したと思われます(使徒10:44-46参照)。こうしてサマリヤにも主の教会が建てられたのです。

 II. 神の賜物は金では買えない。
 ところがこの様子を一部始終見ていた魔術師シモンは、驚ろいたことに使徒たちの所に金を持って来て、「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にもください」と言ったのです(19節)。シモンがペテロから厳しく叱責され、悔い改めるよう命じられたのは言うまでもありません(20-23節)。彼は神の賜物をお金で買えると誤解していました。それにもし自分に人々に聖霊を与える権威が与えられれば、人々から尊敬され、お金を取れるから、金儲けにもなると考えたのでしょう。このシモンから「聖職売買」(サイモニー、simony)ということばが生まれました。彼は洗礼を受けましたが、本当の意味で自分の罪を悔い改めてもいず、主イエスを信じていません。ただ、ピリポが行っていたしるしとすばらしい奇蹟に魅せられただけだったのでしょう(13節)。だから神の賜物である聖霊が、主ご自身から与えられる贈り物であることも理解できなかったのでしょう。救いは一方的な神の恵みであり、聖霊も信じる者に無償で与えられる賜物であることを忘れてはいけません。この二つが私たちに与えられていることを主に感謝しましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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