礼拝説教

2008年9月7日

「救いには務めが伴う」
使徒の働き9:10-19前半
 私たちの人生の中で最も大切な仕事は、主イエスと出会うことです。主とお会いし,イエスを救い主と信じる時、私たちの罪が赦され、永遠のいのちが与えられ、神の子どもとされます。それこそ主イエスが言われる「神のわざ」であり、神の喜ばれる働きです(ヨハネ6:29)。主を信じた者には、必ずしなければならないことが示されます。イエスに出会ったパウロの場合、出会ったその時に示されました。

 I. 悔い改めてバプテスマを受ける。
 パウロは目が見えなくなって、ダマスコで3日間を過ごしました。この時、主イエス・キリストのことがよくわかったことでしょう。これまでイエスはナザレの預言者の一人に過ぎないと思っていたのに、十字架に掛かって死なれ、3日目によみがえって天に昇って行かれた,生ける神とわかり、彼のこれまでの考えは180度の転換を余儀なくされました。彼がこれまでにして来た罪の数々を思い起こしては、心から悔い改め、神にお詫びしたことでしょう。アナニヤが主から遣わされて、パウロの上に手をおいて祈ると、ただちにパウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになり、バプテスマを受けました(17-18節)。

 II. 選びの器としてイエスの名を異邦人に伝える。
 パウロは,主イエスにお会いした時、これからしなければならないことをはっきりと示されました。主はパウロについてこう言いました。「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です」(15節)。パウロのこれからの務めは、主として異邦人にイエスの福音を宣べ伝えることです。しかし、それは決して生易しいことではありません。これまで仲間だったユダヤ人をすべて敵に回すことになるからです。だから主が「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです」(16節)と言われる通りの人生を歩むことになるのです。しかし、それは栄光に富んだすばらしい務めです。パウロはその一生を何の迷いもなく走り抜けました。

 私たちにとっても同じことが言えます。人生最大のわざである主イエスにお会いし、救い主と信じてバプテスマを受けた私たちに、何の指示もヒントも与えずに放りっぱなしにしておくはずがありません。具体的に私たちの務めを示してくださいます。それは、今していることと無関係ではないはずです。祈りの中で今していることを続けるべきか、方向転換して別の道に進むべきか示してくださいます。人生の岐路に立っていると思う人は、祈りながら主の導きを求めましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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