初代教会においては(現在の教会においても同じですが)様々な賜物を持った指導者や信徒の人たちがいました。主が望んでおられることは、それぞれが賜物を生かした働きをして、多くの人たちが主に立ち帰り、信仰的にも知識的にも成長することです。今日は、アンテオケ教会でバルナバとサウロ(パウロ)が果たした役割に目を留めてみましょう。
I. 信徒を慰め励ます働きをする指導者がいる。
異邦人に福音が伝えられるようになって、大勢の人たちが主に立ち返りました。彼らに福音を語った人たちは、迫害によってエルサレムから各地に散らされた人々でした。彼らは最初はユダヤ人たちにのみ、みことばを語ったのですが、アンテオケに進んでからは、ギリシャ人にも語りかけ、大勢の人が主を信じて主に立ち返りました(20-21節)。まだできたばかりの教会にとって最も必要なのは、適切な指導者が与えられて、信者たちを教えることです。彼らのことを伝え聞いたエルサレムの教会は、早速バルナバを遠くアンテオケに派遣しました。バルナバはそこに到着したとき、どうしたでしょうか。「彼は・・・神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました」(23節)のです。バルナバは使徒たちによってつけられたあだ名(「慰めの子」の意)の通りに、アンテオケの教会で信仰生活を始めていた人たちを教え励ましたのです。彼は「りっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人」(24節)でした。彼によって大勢の人が主に導かれました。
II. 信徒を教え育てる働きをする指導者がいる。
しかし、バルナバは、自分よりもっと適切な指導者がこの教会に必要だと判断したようです。自分より聖書を組織立って教える能力のある指導者を捜しにわざわざ、タルソまで出かけて、サウルに会って、アンテオケに連れてきました。教会の人たちはサウロを迎え入れたでしょうか。まる一年の間、彼らは教会に集まり、彼は大ぜいの人たちを教えました(26節)。サウロ(パウロ)ほど旧約聖書と主イエスとの関係を研究し尽くした人はいなかったのですから、これから成長する教会にとって、最適の指導者が与えられたと言えるのです。バルナバの偉大さは、自分に与えられた賜物を十分理解し、その賜物と使命をもって幼い教会を育てて行ったことにあります。彼の慰めと励ましによって多くの人々の信仰は成長して行ったことでしょう。しかし、もっと十分な知識、神学的な学びは、サウロにゆだねることにしました。信徒と同様指導者にも賜物と使命の違いがあります。良き指導者に恵まれたアンテオケの教会は順調に成長して行き、りっぱなキリストの弟子たちが育って行きました。彼らは、回りの人々からキリストにつく者だと分かったので「キリスト者」・「クリスチャン」と呼ばれるようになったのです。(26節) |