私たちのごく身近な人たちを考えるだけで、時々分からないことがあります。それは人間のいのちを主はいつ取られ、いつ生き長らえさせてくださるのか、という問題です。ある人は、これから大きな仕事ができるかもしれないと多くの人々に期待されながら、若くして主に召されてしまいます。ある人は、かなり高齢まで生き長らえ、賜物と使命に応じた仕事を終えて主に召されます。今朝は、主が使徒ヤコブとペテロをどう扱われたかを見ながら、主のお考えを知りたいと思います。
I. 主は、人のいのちが取られるのを許す場合がある。
ペンテコステの時に教会が発足して、すでに14年ほどの年月が経ちました。使徒たちは、ほかの弟子たちとともにユダヤ人による多くの迫害の中で、福音を語り続けました。そのような中で使徒ヨハネの兄弟ヤコブは、ヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ I 世、ヘロデ大王の孫)によって剣で殺されてしまいました(1-2節)。それはユダヤ人たちが喜ぶことだったので、ヘロデは次にペテロをも捕らえにかかりました。ちょうど良い機会に彼をも殺すつもりだったのでしょう。ヤコブは使徒たちの中で最初の殉教者でした。彼は、主イエスの生きておられた時には、ペテロ、ヨハネとともに常に主イエスのみそば近くにいて、主がなさった重要なお働き、みわざ、教えをつぶさに目撃した重要人物でした。もっと生き長らえて主の福音を多くの人たちに語ることができたはずでした。しかし、主は、ヤコブに対するヘロデの暴挙を止めませんでした。その理由を私たちは聖書から教えられていません。何らかのご目的があったと思いますが、私たちには分かりません。ただ言えることは、主がヤコブを生かそうとなされたら、当然生かすことがおできになったはず、ということです。
II. 主は、最大の危機から人を救う場合がある。
ヘロデが次にペテロを狙ったのは、十分うなずけます。ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士たちを四組、交代で厳重に監視させました。過ぎ越の祭りの後に、民の前に引き出す考えでした(4節)。一方教会は、牢に閉じ込められていたペテロのために、神に熱心に祈り続けました。主は彼らの祈りに答えてくださいました。それは、ヘロデがペテロを引き出そうとしていた日の、前夜のことでした。普通なら厳重な警戒の中、ペテロが自由に牢を出ることなど不可能なことでした。しかし、主は御使いを遣わして、ペテロに次々に不思議なわざを行なって、二重三重に堅固に守られている牢屋から彼を解放してしまいました(7-10節)。御使いの前には、重い鎖もいとも簡単にペテロの手から落ち、一番外側の鉄の門もひとりでに開いてしまうのです。このとき、ペテロは我に返って、11節のことばを発しました。解放されたペテロが、教会である家に行って起きた出来事については、ユーモラスに書かれていますが(12-16節)、すべては主の御心のままに起きたことです。主は、ペテロになお多くの働きをさせる目的のため、生かしておいたと考えられます。 |