クリスマスは、神の御子イエス様のご降誕をお祝いする日です。イエス様は神様が人となってこの世に来てくださったので、神様のことを私たちに教えてくださいます。まことの神様は、本来人間にそのお姿を現しません。だから人間は神様のことが分からないのです。しかし幸いなことに、神様が人となって処女マリヤから生まれてくださったので、イエス様を見れば神様のことが分かるのです。
I. イエス様ご自身が神様を教えておられます。
イエス様は、ピリポに「わたしを見た者は、父を見たのです」(9節)と言われました。イエス様は、私たち人間と全く違っている点があります。それは罪が全然ないことです。憎しみやねたみ、汚れやどん欲、高慢など全くないのです。ですからイエス様を見れば、神様、すなわち父なる神様の御性質が分かるのです。それは「わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい」(11節)のおことばの通りです。主イエスと御父とは人格的には分かれていますが、私たちの理解を越えて、一体のお方なのです。イエス様はまた、御父のみもとから遣わされてきましたから、御父のことを私たちに教えてくださいます。山上の説教(マタイ5-7章)の中で主イエスは御父について多くのことを教えておられます。例えば、「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるのです」(5:45)と神がどんなに恵み深いかを教えてくださいます。また、「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って、心配するのをやめなさい。・・・あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」(6:31-32)と御父がどんなに私たちを配慮しておられるかを教えてくださいます。
II. イエス様のみわざが御父を示しています。
主イエスはピリポに、先の11節後半で「さもなければ、わざによって信じなさい」と言われました。確かにイエス様がなさるわざは、人間が行なえるものと違います。ヨハネの福音書の中に(主の復活前ですが)奇蹟が7つ記されています。それら一つ一つはまさしく、御父が主イエスの中でなさったみわざと言えましょう。それは主イエスが言われるおことばも含めて、「わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです」(10節)と言われる通りです。主イエスは、別の機会にユダヤ人の指導者たちにこう言われました。「もしわたしが、わたしの父のわざを行なっていないのなら、わたしを信じないでいなさい。しかし、もし行なっているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」(10:37-38) 主イエスのなさったみわざは、このように主が神の御子であり、御父の力によって行なったわざそのものですから、わざが主イエスのメシヤ性を証明しており、同時に御父の偉大さをあかししているのです。だから「今日のみ言葉」の通り神のひとり子であるイエス様は、見えない神を説き明かされたのです(1:18)。 |